死んでも食べたい魅力がある!食材としてのふぐの歴史とこれから

生物・自然
ラビまる
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ふぐは猛毒をもつのにも関わらず、食材として長く愛されてきました。
たくさんの犠牲者を出しながらもふぐ料理を追求してきた日本人の歴史をふりかえり、今後のふぐ食の行くすえを考えます。


ふぐ料理はお好きだろうか。

とくに有名なのは山口県のもので、本場の下関(しものせき)へ行けば、たくさんの上質なふぐ料理店が軒を連ねている。

「ふぐを食べる」という文化は世界的に見てもかなり珍しく、日本のふぐ料理が目当ての海外観光客も多いらしい。

それもそのはず、ご存じのとおりふぐは体内に猛毒をもつ魚であるので、中毒死のリスクを知りながらわざわざこれを食べるなんて、冷静に考えればかなりクレイジーな行為なのである。

日本の歴史を振り返ってみても、実際にこれまで多くの人々がふぐを食べたことによって命を落としている。

関西では俗にふぐの刺身のことを「てっさ」、ふぐ鍋のことを「てっちり」と呼ぶことがあるが、この「てっ」という部分は「鉄砲(てっぽう)」のこと。

「たまに当たると死んでしまう」という、ふぐの危険性を表したブラックジョークなのである。

食材としてのふぐ

恐怖のテトロドトキシン

ふぐが体内にもつ毒は、テトロドトキシンというとんでもない猛毒である。

神経毒であるテトロドトキシンは、人体に入ると神経伝達を阻害して体のあらゆる機能を麻痺させる。

わずか数十分から数時間で呼吸困難を引き起こし、重症の場合はそのまま死に至る。

効果的な解毒剤はないので、もしテトロドトキシンを摂取してしまったらすぐさま人工呼吸器につないでなんとか延命し、中毒症状が治まるのを待つしかないのだ。

私たちは、ふぐの中でもテトロドトキシンがない(少ない)部位を選んで食用にしている。

ただし「どの部位が有毒か」というのはふぐの種類によって異なるし、素人目にはふぐの種類を正確に見分けることも難しいので、

「ふぐが釣れたからちょっとさばいて食ってやろう」

などとは間違っても考えてはいけない。

中には「全身どこを食べても有毒なふぐ」だって存在している。

食べられる(場合が多い)部位

① 身

ふぐの身(肉)は弾力の強い繊維質であることが特徴で、歯ごたえがいいことで知られる。

ふぐの刺身を注文すると、うすーくスライスされて皿の模様まで透けて見えるような切り身が並んで出てくることが多いが、これは決して板前がケチっているわけではない。

肉厚に切ってしまうと弾力が強すぎて噛み切れなくなるので、ふぐの食感を最大限に楽しむための薄切りなのである。

② 皮

ふぐの皮はコリコリとした食感が特徴。

表皮の内側にはゼラチン質の層がくっついていて、これがコラーゲンたっぷりで美容にもいいらしい。

私が以前ふぐ皮をいただいたときは、千切りのものがポン酢とセットで出てきた。

コリっとした表皮とモチっとしたゼラチン質の食感が独特で、クセになるおいしさだったことを覚えている。

③ 精巣

精巣とは、いわゆる「白子(しらこ)」のこと。

ふぐの白子も、タラなどのそれと同じくトロトロでクリーミーな味わいがある。

オスからしか取れず、一匹あたりから得られる量も限られているため、高級食材としての位置づけとなっている。

食べてはいけない部位

① 卵巣

メスのふぐがもつ卵巣はたいへん毒性が強く、一般的には食用厳禁とされている。

ただし、一部の郷土料理において例外もあるようだ。

石川県でのみ製造が許可されている「ふぐの卵巣のぬか漬け」は、塩水や糠(ぬか)に長期間漬け込むことでふぐの毒を安全なレベルまで分解させたもの。

「幻の珍味」として、ツウの間で根強い人気がある食品である。

② 肝臓

「肝(キモ)」とも呼ばれる肝臓は、これもまた毒性が極めて強く食用厳禁の部位である。

ふぐの肝臓は卵巣と違って、その毒素を分解して食べられるように加工した食品もこれまで例がない。

「あん肝みたいに、酒のつまみにピッタリな味なんだろうなあ」

と、なんとかして食べたくなってしまうところだが、今のところ正真正銘「絶対に食べてはいけない部位」としての扱いを受けているのである。

ふぐ食の歴史

縄文時代から食べられていた

ふぐ食の始まりは古く、なんと縄文時代にはすでに日本で食用とされていたことが分かっている。

古墳や貝塚を掘り返してみると、ふぐの歯や骨格の一部が見つかるのである。

しかし、猛毒をもつはずのふぐを縄文人がどうやって安全に食べていたのか。

はっきりしたことはわかっていない。

一説には、「大昔のふぐは毒をもっていなかった」とする主張もあるようだ。

食用が禁止されるようになる

ふぐが本格的に「食材」として記録に現れ始めるのは、安土桃山時代のころからである。

このころには、ふぐは完全に毒魚として扱われていた。

初めて全国的に「ふぐの食用禁止」を宣言したのは、あの豊臣秀吉(1537-1598)だったといわれている。

豊臣秀吉

なんでも、秀吉が朝鮮出兵にあたって家臣を九州地方へ向かわせた際、そこでふぐ料理を食べた者があまりにもバタバタ死んでいくので、

「大事な戦いの前に食中毒で死ぬなんてありえない!」

と怒って禁止令を出すに至ったらしい。

その後江戸時代に入っても、やはり多くの藩において武士のふぐ食は厳しく取り締まられていく。

「お上のために捧げるべきその命を、くだらない食い意地をはって無駄にするな」

ということだろう。ごもっともである。

ふぐ解禁の流れ

ふぐ食が解禁されるきっかけを作ったのは、初代内閣総理大臣でおなじみ、あの伊藤博文(1841-1909)だった。

下関の旅館にある日伊藤博文が訪れたが、その日はたまたま海が荒れていて、もてなしの食事に出すための魚がまったく獲れていなかった。

困った旅館の女将が仕方なく禁じられているはずのふぐ料理を提供したところ、伊藤博文は「これはうますぎる!」と絶賛したらしい。

伊藤博文

もしこのとき彼の身に万が一のことがあれば、女将は間違いなく総理大臣の毒殺という大罪に問われたはず。

なんと肝の据わった女将だろうか。

ともあれ、女将のこの判断は結果的にプラスに働いた。

伊藤博文はその後すぐに、

「下関のふぐは食べても死なないからOK!」

という謎の理論を主張し、当時の山口県知事に働きかけてふぐ食の解禁を認めさせたという。

これをきっかけとして、ふぐの安全な調理方法についてのノウハウが一気に広まることとなり、今の全国的なふぐ食文化につながっていったのである。

より安全なふぐ食の未来

毒のない養殖ふぐ

ふぐ食がすっかり定着したいま、今度は「毒をもたないふぐ」の養殖について研究が進められている。

そもそも、ふぐが毒をもっているのは、猛毒テトロドトキシンをもつ生物を餌として摂取しているからだと考えられている。

つまり、ふぐが自分の体内で毒を生成しているわけではないということだ。

(この前提に立てば「大昔のふぐには毒はなかった」という説も、結構ありそうな主張に思えてくる。)

ということは、テトロドトキシンをもつ他の生物とふぐを一切接触させず、無毒な餌だけを使って養殖することができれば、そのふぐは毒をもたないふぐに育つはずである。

しかしこれを達成するのは結構大変なことだ。

たとえば養殖のために海水を使うだけでも、そこで小さな有毒生物がうっかり混入してしまうかもしれない。

稚魚の段階から調理に出されるまでの間ふぐの生育環境を完全にコントロールするというのは、大変な労力と費用がかかってしまうのである。

「ふぐ肝」の解禁はあるのか

より安全なふぐの普及を願う各関係団体の並々ならぬ努力があって、実はすでに「毒をもたないふぐ」の養殖は成功を収めている

たしかに無毒の餌のみによって養殖したふぐを検査したところ、最も毒性が強い肝臓からもテトロドトキシンは検出されなかった。

そうなると、これまでの「ふぐの肝は食用厳禁」という絶対的なルールも揺らいでくる。

実際、毒なしふぐの養殖成功を受けて、国に対して「ふぐ肝の食用禁止規定」の一部適用除外を訴える動きも始まっている。

残念ながら今のところは、

「まだふぐ毒のメカニズムが完全に解明されたとは言えないので、やっぱり今は認められません」

というのが厚生労働省の方針である。

ただし、今後ふぐの毒について研究がさらに進んで、養殖技術も十分に洗練されていけば、いずれはふぐの肝さえも安心して食べられるような世の中になるかもしれない。

いやしかし、ふぐが「安全な魚」と認識されるようになってしまうと今度は逆に知識の浅い釣り人の死亡事故が増えてしまうんだろうか。

うーん。ふぐ料理はぜひとも気軽に食べたいが、ふぐの恐ろしさは忘れてはならない。

せめて「いましめ」として、「てっさ(鉄砲刺身)」「てっちり(鉄砲ちり鍋)」といったおどろおどろしい別名だけは、後世にも引き継いでいきたいものである。

ふぐは体内に猛毒テトロドトキシンをもっている
 ・食べられる部位:主に身、皮、精巣など
 ・食べられない部位:卵巣、肝臓など
ふぐ食禁止のきっかけは豊臣秀吉(家臣がたくさん死んだから)
ふぐ食解禁のきっかけは伊藤博文(食べたらおいしかったから)
毒のないふぐの養殖も成功している
 ・無毒の餌だけを摂取させて育てると、毒のないふぐになる

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