【宇佐八幡宮神託事件】かつて天皇になろうとした僧侶・道鏡の野望をわかりやすく解説

歴史・伝承
ラビまる
ラビまる

奈良時代の僧侶である道鏡という男は、当時の女帝に気に入られて権力をもち、ついには天皇の座につく一歩手前にまで至りました。
道鏡がもしここで天皇になっていたら、現代にまで続く天皇の家系図はここで途絶えてしまっていたのです。


日本の歴史は常に、天皇家の統治とともにあった。

初代から現在の126代にいたるまで、血のつながったただ一つの家系が(記録上は)脈々と受け継がれてきている。

ちなみに日本の歴史の初期のころは半分「神話」の世界。

初代・神武天皇は、神の国から地上を統治するために降り立ったニニギノミコトのひ孫であるので、現代にまで続く天皇たちはみな「神の子孫」ということになる。

「私たちの国のトップは神の子孫なんだ!」

という意識は非常に大事で、このことが天皇の権威を裏付け、今日に至るまでその正当性を支えてきたわけである。

ところが、実は今から1200年以上前の時代に、この伝統的な天皇の系譜があわや途絶えてしまう危機にさらされたことがあった。

どこからかポッと出てきた一人のお坊さんがメキメキと権力をたくわえ、あろうことか自ら天皇になろうとしたのだ。

日本の歴史を根底から揺るがしかねなかったこの衝撃的な事件は「宇佐八幡宮神託事件」と呼ばれている。

宇佐八幡宮神託事件の成り行き

主な登場人物
  • 道鏡(どうきょう)
    奈良時代を生きた僧侶で、今回の事件のキーパーソン。ひょんなことから称徳天皇とお近づきになり、朝廷で急速に出世して政治に介入していくこととなる。
  • 称徳天皇(しょうとくてんのう)
    第46代、第48代の2度にわたって天皇の座についた女性天皇。(※第46代の時は「孝謙天皇」という名だったが、事件当時は第48代「称徳天皇」だったのでこの記事ではこちらの名前に統一する。)
  • 和気清麻呂(わけのきよまろ)
    朝廷に仕えた貴族。彼のお姉さんが称徳天皇の側近についていたために、宇佐八幡宮まで神託を確認しに行く役割を担うハメになった、ちょっとかわいそうな男。

道鏡の大出世

時は7世紀、奈良時代。

称徳天皇が母を亡くしたショックでひどく落ち込み、ついには病気になって床に伏していたところから物語は始まる。

病気の称徳天皇を心配する声が高まっていたところに、一人の謎のお坊さんが現れた。

これが後に大事件を引き起こす僧侶・道鏡だった。

道鏡が熱心に呪文を唱えて称徳天皇の病気の治癒を祈ると、その甲斐あってか称徳天皇はすっかり元気を取り戻す。

このことをきっかけに称徳天皇は道鏡を大変気に入り、自分のそばに置いておくようになる。

噂によると、この頃から称徳天皇と道鏡の間にはなにやらただならぬピンク色の雰囲気が漂っていたとかいなかったとか。

そりゃあ、もちろん称徳天皇だってひとりの女性である。

天皇という宿命ゆえに結婚は禁じられているけれども、苦しいときに一生懸命支えてくれる男性がいたら、それはもうグッと来てしまうのも無理はない。

そんなこんなで道鏡は称徳天皇の愛人として朝廷デビューしたイケメン僧侶として語られることも多い。

さて、称徳天皇の権力にあやかった道鏡は、メキメキと出世していく。

「太政大臣」という朝廷の名誉職に就いたかと思えば、やがては「法王」といういかにもスゴそうな地位を授かり、彼の一族の人事登用や仏教を中心とした政治の推進など、僧侶としては破格のパワーをもって政治に介入していったのである。

そんなノリノリの道鏡、そして道鏡大好きな称徳天皇のもとに、ある日二人の男が訪ねてくる。

道鏡を天皇にすべし

道鏡たちのもとに現れたのは、道鏡の弟・浄人(きよひと)と、九州で神事関係を担当していた役人・習宣阿曾麻呂(すげのあそまろという男だった。

なんと彼らが言うには、

宇佐八幡宮の神様からご神託がありました!道鏡さんを次の天皇にすれば国家は安泰だそうです!」

とのこと。

「八幡宮」とは第15代・応神天皇を神格化して祀(まつ)った神社のことで、特に「宇佐八幡宮」といえばそんな全国の八幡宮のなかでも総本社にあたるスゴイところである。

宇佐神宮・南中楼門(大分県)
<出典:Wikipedia(by Sanjo)>

称徳天皇にしてみれば、

「自分のご先祖様がわざわざ大好きな道鏡を天皇に推薦してくれた!」

と大喜び。

当の道鏡もまんざらではなく、「いっちょやってやるかあ」といった感じである。

一説では、権力を手にして次なる野望を抱いた道鏡が、弟と役人に根回ししてウソの神託を持ってこさせたのではないかとも言われている。
(まあ状況からするとかなり妥当な推理のような気もする)

ともかく、本当に道鏡を天皇にするのであれば、それなりに「世間体」というものを意識する必要がある。

朝廷にしてもさまざまな利害関係が渦巻く組織であるから、それ相応の根拠がなければ道鏡の即位がすんなりとみとめられるはずもない。

そこで称徳天皇は、念のため宇佐八幡宮の神託を別の者に確かめに行かせることにしたのだった。

和気清麻呂の任務のゆくえ

晴れて「神託の確認役」を引き受けたのは、和気清麻呂(わけのきよまろ)という男だった。

もともとは称徳天皇の側近だった和気広虫(わけのひろむし)という女性が抜擢されたのだが、残念ながら彼女は体が弱く、はるばる宇佐(今の大分県)まで行くのはちょっとキツいということで、彼女の弟である清麻呂に白羽の矢が立ったわけだ。

さて和気清麻呂がはるばる野を越え山を越え、意気揚々と宇佐八幡宮を訪ねる。

さっそく神の本意を聞こうとするが、どうやら神様はあまり乗り気でない様子。

神社に仕える人に、

「神様はあなたの話は聞きたくないとおっしゃっています」

とやんわり断られてしまった。

それでも清麻呂がしつこく食い下がると、「仕方ないなあ」とようやく神様が現れる。

神様が清麻呂に告げたのは、

「あのさ、うちの国は今までずっと皇族を天皇につけてきたでしょ。道鏡みたいなよくわからないヤツはさっさと排除してしまいなさいよ」

という、話に聞いていたのとは全く逆の神託だった。

清麻呂はこの神託を天皇に伝えるべく、再び朝廷へと帰っていくのであった。

神託を受ける和気清麻呂

事件の終結

朝廷に戻った清麻呂は、宇佐八幡宮で受けた神託をそのまま称徳天皇に告げる。

道鏡の即位を後押しする知らせをウキウキしながら待っていた称徳天皇としては、当然この報告にはガッカリである。

「なんて空気の読めない男!そんな報告をされたらもう道鏡を天皇になんてできないじゃない!」

と大激怒してしまう。

怒り狂った称徳天皇は、清麻呂を島流しにした挙句、彼の名前を「和気清麻呂(わけのきよまろ)」から「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という非常にダサい名前に強制改名させる。

それでも腹の虫がおさまらなかったのか、ついでにお姉さんの名前まで「和気広虫(わけのひろむし)」から「別部狭虫(わけべのせまむし)」へと改名させたのだった。
(これに関しては完全にとばっちりである。)

一国の女帝であるはずの人物がまるで小学生の悪口レベルのネーミングセンスで嫌がらせをしている点については苦笑するしかないが、まあ称徳天皇にとってはそれくらいショックな出来事だったということだろうか。

清麻呂の報告がいくら意に反したものであろうとも、由緒正しき宇佐八幡宮の神様直々の神託には違いなく、さすがの称徳天皇もこれに逆らって事を進めることはできない。

このようにして、称徳天皇と道鏡による前代未聞の野望は、あと一歩のところではかなくも破れ去ったのだった。

天皇の系譜が今日まで途絶えることなく続いている背景には、かつて自らの名前をも犠牲にして真実を語り、見事に道鏡の野望を阻止した和気清麻呂の勇気があったということである。

京都・護王神社では、命がけで皇統を守った英雄として和気清麻呂を祀っている。
<出典:Wikipedia(by S kitahashi)>

宇佐八幡宮神託事件の面白いところ

国家が乗っ取られる寸前!スリリングな展開

以上、宇佐八幡宮神託事件は「天皇家以外の人間がガチで天皇になろうとした唯一の事件」として、今なお歴史の中で異彩を放っている。

「和気清麻呂がもし空気を読んで最初の神託のとおりの報告をしていたら…」

と考えると、本当にあのとき道鏡が天皇となっていたとしても決しておかしくはない。

道鏡が呪術に秀でた僧侶だったこともまた、彼のキャラクターを一層怪しく不気味なものに感じさせ、なんだかサスペンスドラマを見ているようなハラハラ感すらある。

また一方で、そんな大事件のきっかけが「天皇と坊さんの色恋沙汰」という俗っぽいスキャンダルである点も非常に特徴的で面白い。

そして神託を聞いて怒った称徳天皇の、

「お前なんか清麻呂(きよまろ)じゃなくて穢麻呂(きたなまろ)だ!」

というなんともほのぼのとした処罰。

緊張と緩和の入り混じった、たいへん印象的な歴史上の事件であった。

諸説ある事件の真相

ひとつ注意しておきたいのは、この事件の流れはあくまで歴史書『続日本紀』に書かれている内容に沿った理解でしかないという点だ。

歴史書というのは編纂者の意図によって事実がかなり捻じ曲げられていたり偏った表現になっていたりすることもしばしばあるもので、今に生きる私たちはそうして印象操作されたストーリーをとりあえず「史実」として解釈するほかないのである。

宇佐八幡宮神託事件の成り行きを見ると、

「道鏡は国家を乗っ取ろうとしたヤバいやつだったんだなあ」

「称徳天皇は愛人にゾッコンになってるだけのちょっと残念な人だなあ」

なんて思ったり、

「和気清麻呂はしっかり神の意向を伝えた正義の人だ!」

と称賛したくなるけれども、この見方はあるいは正しいかもしれないし、あるいは誰かの都合がいいようにキャラ付けされたものにすぎないかもしれないということだ。

単に楽しむだけのストーリーとしては、「悪」「善」がきっちりしているほうが明快だし面白い。

その反面、現実にはもうちょっと複雑にいろいろな要素が絡み合っているだろうことも、私たちは想像することができる。

「道鏡は本当に天皇になる野望をもっていたんだろうか」

「一連の事件で得をする第三者がいたんじゃないだろうか」

などと歴史の裏側にまであれこれと思いを馳せるのも、これもまた面白い。

<宇佐八幡宮神託事件の成り行き>
道鏡は称徳天皇の病気を治したことをきっかけに権力をもち始め、政治に介入するようになった
宇佐八幡宮にて「道鏡を天皇にすべし」との神託がでたとの報告があった
和気清麻呂が確かめたところ実際は正反対の神託があったため、道鏡の即位は叶わなかった
⇒ これにより天皇家の血筋が途絶えることなく現代にまで続いている

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