人はなぜ死ぬ運命になったのか?世界各地の神話に共通するストーリーがある【バナナ型神話】

歴史・伝承
ラビまる
ラビまる

世界中のいろいろな神話が「人にはなぜ寿命があるか」を説明しています。
それらを比較すると、「バナナ」をキーワードとした不思議な共通点が浮かび上がってくるのです。


「バナナ型神話」とは、イギリスの人類学者ジェームズ・フレイザー(1854-1941)が命名した用語で、主に東南アジアあたりの伝承にやたらと出てくる「あるある」な神話のパターンのことをいう。

ジェームズ・フレイザー

そのパターンを端的に言うならば、

「人間の祖先は石とバナナを見せられてバナナを選んだから、人間はバナナみたいに腐りやすい(短命な)存在になったんだよ」

というストーリーである。

これに類似したあらすじの神話は、なにも東南アジアだけにとどまらず、なんと「古事記」による日本神話においても同様の構造が見られるという。

遠く離れた土地に伝わる神話同士の、なんともミステリアスなつながりを詳しく見ていこう。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

バナナ型神話の原型

インドネシアに伝わる神話

たとえばインドネシアのとある島の民族は、こんな伝承を残している。

 
世界が始まった最初のころ、神様が天界から地上へ「石」を贈った。

私たち人類の始まりとなった男女は、その石を冷ややかな目で見て、

「うーん、こんな石ころがあっても役に立たないなあ。神様、もっと別の何かをくださいよ!」

と言った。

そうすると神様は石を回収した後、今度はバナナを地上に贈った。

「食べ物だ!ありがとう神様!」

と無邪気にバナナへと駆け寄っていく二人を見て、神様はこう告げる。

「おまえたちは、すぐに腐って世代交代を繰り返すバナナを選んだんだね。おまえたちの生命もバナナのように短命になるだろう。もし石を選んでいたなら、おまえたちも石のように不老長寿となっていただろうになあ…。」

こういうわけで、私たち人間は寿命をもつようになったのだ。

というお話。

死の起源はバナナにあり

上記が、いわゆるバナナ型神話の典型的なものである。

これと似たような神話が、東南アジアを中心にたくさん存在している。

共通しているのは、「短命の象徴」と「長寿の象徴」の二者択一によって、人類がどちらの運命をたどっていくかが決定されている、という点。

  • バナナ(すぐに腐る) ⇒ 変化、短命、死…の象徴
  • 石(形が変化しない) ⇒ 不変、長寿、不死…の象徴

そして不覚にも私たちの祖先は、短命の象徴であるバナナに飛びついてしまったので、それによって私たちも死ぬ宿命を背負うことになったというのである。

「あーあ、私たちの祖先はなんてことしてくれたんだ」

と思ってしまう一方で、しかし確かにバナナと石があったら、そりゃバナナを選ぶのも無理はない気もする。

というか神様も黙って石だけよこさないで、先に二者択一の趣旨を説明してくれたらよかったのに…。

日本神話にみるバナナ型のエピソード

ニニギノミコトによる選択

実は日本神話にも、「バナナ型神話の一例」ともいうべき要素が存在している。

「天孫降臨」とよばれる章にある、次のようなエピソードである。
 

神の子孫である「ニニギノミコト(※)」が地上に降り立ったときのこと。
(※初代天皇「神武天皇」のひいおじいちゃん)

ニニギノミコトは、「コノハナサクヤヒメ(木花咲弥姫)」というたいそう美しい娘に一目ぼれしてしまい、さっそく彼女の父親である山の神に結婚の挨拶に行く。

山の神はこれを喜んで承諾し、

「彼女にはイワナガヒメ(磐長姫)というお姉ちゃんがいるので、ぜひ二人セットでもらってやってください」

と、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメをペアで差し出す。

ところがこのイワナガヒメ、妹とは違って、たいそうブサイクな容姿をしていた。

そこでニニギノミコトは、

「いやあ、ちょっとイワナガヒメちゃんのほうはいいかな…(汗)」

と言って実家に送り返してしまう。

これを受けて山の神はこうつぶやいたのだった。

「あーあ、コノハナサクヤヒメは一瞬の美しさの象徴、イワナガヒメは長寿の象徴なのに。天孫が美しく長く繁栄していくように二人とも嫁がせたのに、コノハナサクヤヒメだけを選んだのでは、彼の子孫もまた儚く散っていく花のように短命になるだろうなあ。」

物語の構造と役割

上記のとおり、物語の中に「バナナ」こそ登場しないものの、その構造自体はインドネシアに見た例とかなり近い。

ここではバナナの代わりに、コノハナサクヤヒメが象徴する「花」が、変化・短命・死の象徴として描かれている。

イワナガヒメはその名のとおり「岩(石)」を表しているので、ここは共通していますね。

バナナ型神話のセオリーにのっとり、天皇家の祖先であるニニギノミコトは、やはり自らの手によって「短命」を選び取ってしまったのである。

日本神話におけるこのエピソードは、天皇家による国の支配を継続していくうえで重要な役割を担っていたと想像できる。

なぜなら、

  • 天皇はこの国を創造した神の子孫である
  • 神の力をもつ天皇であっても一般人と同じように死んでしまう

という一見矛盾を抱えていそうな2つの主張を、ニニギノミコトのエピソードによって見事合理的にむすびつけているからだ。

「つじつまが合う」ことにより日本神話に説得力が生まれ、それが天皇家の正当性を支えることにつながったのである。

バナナ型神話はなぜ語り継がれるのか

各地で人気を得たバナナ型神話

日本神話とインドネシアの神話には、一部において「バナナ型神話」という共通点が見られることがわかった。

海を隔てた遠い島国同士がこんなにも類似した神話を語り継いできているのは、なんとも不思議なことである。

これらが「たまたま似ているだけで互いにオリジナル」なのか、あるいは「文化交流によって拡散された」のかは議論があるところだ。

日本とインドネシアの位置関係

いずれにせよ、バナナ型神話が各地の人々の心に響くストーリーだったのには違いない。

そうでなければ、長い歴史の淘汰(とうた)を生き残って、これほど幅広い土地で同様の神話が伝わっているはずがない。

バナナ型神話のストーリーの構造は、どうしてこんなにも人気があるのだろうか。

親近感という魅力

私が想像するに、バナナ型神話の魅力の一つには「親近感を得られる」ことがあるんじゃないだろうか。

「あーやっぱりそこはバナナに駆け寄っちゃうよね、バナナおいしいもんね」

「なんだかんだいっても結局ブサイクより美人を選びがちだよね、わかるわかる」

といった感覚。

こういった感覚によって、神話を伝え聞いた人々はその内容をすんなり納得して受け入れることができる。

昔から人間というのは皆、自分の単純さ・愚かさ・浅ましさを自覚しながら生きてきたのだろう。

だからこそ、バナナ型神話に人々はどこか自虐的な面白みを感じてしまう。

だって、ブサイクだからって理由だけでイワナガヒメをフッちゃうニニギノミコトってなんだか人間的で、完全無欠の神様よりも少し愛着が湧いてきませんか?

「ああ、これは確かに私たち人間のご先祖様だなあ」

と苦笑いをしながら、古来の人々は「死」という運命を穏やかに受け入れていたのかもしれない。

バナナ型神話は、人間が短命になった起源としてよく見られる神話
 ・人間は長寿の象徴(石)を捨て、短命の象徴(バナナ)を選んだ
日本神話でもバナナ型神話と似た構造のエピソードがある
 ・ニニギノミコトはイワナガヒメを捨て、コノハナサクヤヒメを選んだ

コメント

タイトルとURLをコピーしました