年末のビッグイベントと言えば、クリスマス。
シーズンになると、街の商業施設がどこもプレゼント選びで賑わっています。
ではクリスマスに大切な人へプレゼントを贈る習慣というのは、いったいどこからやってきたのでしょうか?
クリスマスは歴史の長いキリスト教のお祭りですから、実に2,000年以上にわたる複雑な文化の醸成があったわけですが、その中で「プレゼントを贈る」という要素を探していくと、最も古い原型は聖書の中に登場します。
具体的には新約聖書の「マタイによる福音書(ふくいんしょ)」に含まれる、「東方三博士(とうほうさんはかせ)の礼拝」と呼ばれるエピソードのことです。
- 旧約聖書
- モーセ五書(5巻)
- 歴史書(12巻)
- 詩書(5巻)
- 預言書(17巻)
- 新約聖書
- 福音書(4巻)
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
- ヨハネによる福音書
- 歴史書(1巻)
- パウロ書簡(13巻)
- 公同書簡(8巻)
- 黙示録(1巻)
- 福音書(4巻)
ちなみに「福音」とは「良い知らせ」の意味で、「福音書」というと救世主キリストの生涯や言行について書き記したもののことを指します。
マタイ/マルコ/ルカ/ヨハネという4人の人物が、各々の目線でイエス・キリストについて見聞きした情報を語っていて、それらが聖書の中に組み込まれているわけですね。
ここでマタイが伝えたお話が、現代にまで続くクリスマスプレゼントの起源として知られているのです。
2.10:彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
日本聖書協会『口語訳聖書』(2013, サキ出版)—マタイ2章10-11節—
2.11:そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
彼ら(=東方の三博士)とは、いったい何者なのか。
どうして彼らは、幼い子どもにプレゼントを渡しにやってきたのか。
この記事では、
- 東方の三博士の簡単なあらすじ
- 博士たちの正体と彼らの役割
- 黄金と乳香と没薬が贈られた意味
についてまとめています。

イエスが誕生した当時の、謎多き歴史の世界。
物語を通じて色々と想像を巡らせてみましょう。
東方の三博士のエピソード
かつてイエス・キリストが、ユダヤの小さな町ベツレヘムに生まれたときのこと。
このときイエスの頭上に、誰も見たことのない謎の星が輝き始めました。
それを目撃したのは、東の国に住む天文学に精通した3人の博士たち。
彼らはこの不思議な星の出現に、直感的に「王の誕生」を感じ取ります。



お、あの星は普通じゃないね。
きっとユダヤの王がお生まれになったのだろう。
星の導きに従って、我々でご挨拶にまいろうぞ。
こうして東方の三博士は、まだ見ぬイエスを拝むための旅へと出発しました。


(フランス国立図書館電子版「Gallica」より [Atlas Catalan] )
とりあえず西へ向かったはいいものの、目的地の詳細は知らない博士たち。
彼らは途中でユダヤ王国の首都エルサレムに立ち寄って、ちょっと道を尋ねてみることにします。



あのーすみません。
新しいユダヤ人の王になる子って、どこにおられますかね?
私たち東方で星を見て来たんですけども。



新しい王だと…?
ちょ、ちょっと待っててね。
三博士らが声をかけた相手は、よりによって当時のユダヤ国王であるヘロデ大王その人でした。
ヘロデ大王は、将来自らの身を脅かしかねない存在が誕生していたことをそこで知り、これを脅威に感じます。
そしてユダヤの有識者たちを片っ端から集めて、イエスの誕生地というのがどこなのかを調べさせます。
学者たちはその地が「ベツレヘム」であることを特定しました。
ヘロデ大王は三博士を呼んで、こう言いました。



例の子ね、どうもベツレヘムにいるらしいですわ。
見つかったら後で私にもその子の特徴を詳しく教えてね。
いやほら、私も個人的に拝みにいきたいから。



わかりました!
ありがとうございます!
こうして三博士たちは、ヘロデ大王のもとを去っていきました。
三博士がベツレヘムの町にやってくると、あの不思議な星が彼らを導くかのように空を進んでいきます。
そしてある小さな小屋の上空で止まって、らんらんと輝くのです。
ついに目的の地にたどり着いたと喜ぶ3人。
早速中へ入ってみると、そこには聖母マリアと幼いイエスの神々しい姿がありました。



イエス様、生誕おめでとうございます!
私たちからのプレゼントを受け取ってくださーい!
彼らがそれぞれ送った品物とは、
- 黄金(おうごん):美しく金色に輝く代表的な貴金属
- 乳香(にゅうこう):主に香料として使われる乳白色の樹脂
- 没薬(もつやく):香料や防腐剤にもなる赤褐色の樹脂
の3つのプレゼントでした。
無事に礼拝を成し遂げることができて、大満足の三博士。
本当ならヘロデ大王にも報告をしに行くはずでしたが、彼らは夢で「ヘロデのところへは戻るな」という謎のお告げを受けたので、そちらに従うことにします。
エルサレムを経由しないような別ルートを通って、三博士はひっそりと自分たちの国へ帰っていったのでした ——。
一方その頃、ヘロデ大王はというと…。
いつまでたっても三博士が戻ってこないので、ブチ切れていました。



あいつら裏切りやがったな!
これじゃターゲットがどいつか分からんじゃないか!
ヘロデ大王は、イエスの特徴や詳しい居場所を聞いたらすぐにでもその子を殺しに行こうと考えていたのです。
自分の地位を奪うような危険分子は、今のうちに排除しておこうということですね。
仕方がないので、ヘロデ大王は強硬手段に出ます。
ベツレヘムにいる2歳以下の男児を一人残らず皆殺しにするのです。
(これもマタイの福音書で語られるエピソードで、「幼児虐殺」と呼ばれています。)
しかしイエスの養父であるヨセフは、事前に夢で「マリアとイエスを連れてすぐにエジプトへ逃げなさい」という謎のお告げを受けていたので、イエスたち一家はこの虐殺をかろうじて逃れていたのでした。
もし東方の三博士がイエスの詳細な情報をヘロデ大王に伝えていたら、きっとイエスの教えが世界に広まることもなかったのでしょう…。



以上が、東方の三博士に関する物語のざっくりとしたあらすじです。
東方の三博士とは誰だったのか
まとめると要するに「知らないおじさん3人が遠くから赤ちゃんに会いに来た」という話ですね。
いきなり登場した「東方の三博士」とは、結局何者だったのでしょう?
彼らの素性については、聖書の中では特に詳しく語られていません。
「博士」というのはラテン語「magi(マギ)」の訳語なのですが、これはペルシャの祭司や占星術師の階級、あるいは天文学者のことを意味していると考えられています。
とにかく東の方から来た、偉い学者っぽい人たち。
それ以外のことは、ほとんど伝説的に語られているに過ぎないのです。
個性豊かな三博士
ちなみに先ほどから「三博士」と言っていますが、イエスを礼拝しに来たのが「3人」だったという情報も、実は聖書には出てきません。
イエスへのプレゼントが3種類だったので、まあひとつずつ持ってきたとしたら3人じゃない?ということで「三博士」に落ち着いたわけですね。
このあたりは後世の神学研究による推測の領域です。
時代が下ると、東方の三博士にはそれぞれ名前とキャラクター性が与えられるようにもなりました。
現在一般的に普及している人物像は6世紀ごろから徐々に定着していったもので、
- メルキオール:Melchior
→ 「金」を贈った高齢の博士。ペルシャ地方の王。 - カスパール:Caspar
→ 「乳香」を贈った中年の博士。インド地方の王。 - バルタザール:Balthasar
→ 「没薬」を贈った若い博士。アフリカ地方の王。
といった感じで、わかりやすく個性がつけられています。
年齢や出身地方の設定はあまり統一されておらず、3者の中で入れ替わっている例も多いのですが、少なくとも「3人のうち誰か1人は黒人系」というのはわりと定番パターンなようです。
「東方三博士の礼拝」をモチーフとした西洋絵画を見ると、やはり三博士の個性がはっきり描き分けられている傾向が見て取れます。


キリスト教における意義
東方の三博士による礼拝のエピソードは、キリスト教という宗教体系において2つの点でとても重要な意味をもっています。
まず1つは、このエピソードが「キリストの影響力は世代や人種に関わらず全世界に及んでいるのだ」という教義を象徴していること。
キリスト教はもともと選民思想的なユダヤ教をベースに発出したわけですが、
「救われるのはユダヤ人だけじゃないよ!信じればすべての人が救われるよ!」
というキリスト独自の主張が、世間に広く受け入れられるための大きなセールスポイントとなった経緯があるのです。
三博士たちはこれまで見て来たように、やたらと幅広い年齢層と出身地域に分かれた異国人としての設定をもっています。
「異国の賢者による礼拝」を強調することで、キリスト教が全人類のものであることがより伝わりやすくなるんですね。
そしてもう1つ重要なのが、この出来事はイエス・キリストがこの世界で初めて救世主としての姿を現した記念すべき瞬間だったという点です。
イエスはただの赤ん坊ではなくて、世界の王として君臨する絶対的な存在なのだということ。
それを象徴的に示したのが、「賢者が遠方からはるばる献上の品を運んでくる」という行為でした。
彼らの礼拝によって、神の子としてのイエスの本質がはっきりと公に現れたわけです。
この礼拝の日(=主に「1月6日」)は、「公現祭(こうげんさい)」「エピファニー」というキリスト教の祝日になっています。
特にカトリックや正教会系のキリスト教圏では、クリスマスと並ぶメジャーな年中行事です。
キリスト教徒が少ない日本ではあんまり目立ちませんけどね。



フランスでは「ガレット・デ・ロワ」を食べて祝う日としても有名ですね。名前の由来は「諸侯のガレット」。「諸侯」とはつまり東方の三博士のことを意味しています。
まとめると、12月25日の「クリスマス」がイエスのローカルな生誕を祝うお祭りであるのに対して、1月6日の「エピファニー」はイエスのグローバルな公現を祝うお祭り。
クリスマスからエピファニーまでの12日間というのは、東方の三博士がベツレヘムを目指して旅をしていた日数ということになります。
イエスの生誕もイエスの公現も、キリスト教にとっての大きな出発点の一要素です。
つまり12月25日~1月6日の期間というのは一連の継続した祝祭期間なわけです。
イエスの生誕、クリスマス、東方の三博士、エピファニー、贈り物。
「現在のクリスマスプレゼントの起源は東方の三博士にある」という見解も、これらの要素同士の密接な関連を考えると「なるほどな」という感じがしますね。
三つの贈り物が意味するものとは
ところで、東方の三博士が持ってきた黄金・乳香・没薬とはいったい何だったのでしょう。
貴金属1つと、いい香りの樹脂2つ。
いわばこれが元祖クリスマスプレゼントだったわけですが、生まれたての赤ちゃんに贈る品物としてはちょっと渋すぎる気もします。
この贈り物の意味については、古代キリスト教の神学者オリゲネス(185-254頃)による解釈が通説となっています。



彼らが主に捧げた贈り物にはそれぞれ象徴的な役割があるんだよ。
王であり神であるイエス様が、最後は人として犠牲の死を遂げること。
その主の本質と運命を、三つの贈り物がここで予言しているってわけ。
- 黄金(おうごん):王位の象徴
→ ユダヤ人の王と呼ばれる存在となることを意味する - 乳香(にゅうこう):神性の象徴
→ 神として人々から崇められる存在となることを意味する - 没薬(もつやく):死の象徴
→ 人類の罪を背負って死ぬために生まれてきたことを意味する
そういわれるとなんだか格調高い品々に思えてきますね。
当時は乳香も没薬も、黄金に匹敵するくらい高価なものだったと考えられています。
それでは贈り物ひとつひとつに注目して、もう少し詳しく見てみましょう。
黄金に込められた意味


美しく希少な金属である黄金(おうごん)は、人類の歴史を通して常に高価な宝物として扱われてきました。
聖書が成立するよりもずっと昔、紀元前3000年頃の古代エジプトやメソポタミア文明の時代には、すでに黄金の装飾品が用いられ特別な価値を持っていたようです。
金という元素には化学変化を起こしにくい性質があって、基本的に錆びたり変質したりといったことがありません。
また展延性に優れ、任意の形状に加工しやすいのも大きな特徴です。
固体の力学的特性で、その物質が割れたりちぎれたりせずに柔軟に変形する度合いのこと。
押しつぶす力に対して変形する「展性」と、引っ張る力に対して変形する「延性」とを合わせた概念で、金はそのどちらの能力も非常に高い。
加工しやすいからこそ、王冠や腕輪などの装飾品として美しい姿をとれる。
そしてその美しさは長い年月がたっても変わることがない。
王権や支配者のパワーを象徴するのにこれほど適した素材というのは他にないでしょう。
東方の博士のエピソードにおける黄金も、まさにこのイエスの王位の象徴としての役割を担っていたと言えるわけです。
といってもイエスの場合は政治的・世俗的な意味での「国王」とは違って、霊的・精神的な支配者としての「世界の王」として語られています。
人々の心や魂を治め、罪や死からの精神的な開放をもたらしてくれる存在である、ということですね。



金は現代でも非常に高価な品ですが、めちゃくちゃ薄く広げた「金箔」なら庶民にも手が届きます。これも金の展延性のなせる技です。


乳香に込められた意味


乳香(にゅうこう)は、ボスウェリア属という種類の樹木からとれる天然樹脂です。
その名のとおりミルク色にオレンジが混じったようなかわいい見た目をしています。
キリスト教の土台となるユダヤ教においても乳香はすでに神聖な香料として扱われており、旧約聖書の中でも乳香を神にささげるための特別な香として言及している箇所が見られます。
その宗教的な位置づけがそのままキリスト教の儀式にも引き継がれました。
イエスは「神の子」でありながら同時に「神そのもの」でもある(三位一体)とされています。
この特別な存在としてのイエスの神性を象徴する意味で、神への祈りに用いられる乳香がキーアイテムとして登場しているわけです。
キリスト教で重視される教義の一つで、「父」と「子」と「霊」を一体のものとする教え。
父は創造主である「神」、子は救世主である「イエス」、霊は神の力や精神的な働きを司る「聖霊」であり、この三者は本質的に同一の存在(=神)がそれぞれの形をとって現れたものとされる。
その後16世紀以降になると、乳香は宗教儀式以外でも香水・アロマとしての用法で広まっていきました。
現在、「フランキンセンス」の名で流通しているエッセンシャルオイルは、ズバリ乳香のことを指しています。
ウッディー系の甘い香りでありながら、その中にスパイシーさも感じられるのが特徴的。
「神に祈りをささげる香り」としての文脈を意識したうえで使ってみると、より神秘的なリラクゼーション効果が得られるかもしれません。


没薬に込められた意味


そしておそらく最も知名度が低いであろう没薬(もつやく)ですが、これも乳香と同じく天然樹脂の一種です。
コンミフォラ属という種類の樹木から採取され、こちらもやはり香料として宗教儀式に用いられてきた歴史があります。
さらに特徴的なのが、没薬が抗菌・抗炎症作用などの医学的な効能をもつこと。
そのため消毒剤や鎮静剤といった用途でも活躍していました。
また古代エジプトにおいては、ミイラの身体を保存するための防腐剤として没薬が使われています。
つまり没薬は単なる香料ではなく、死者の魂を清めるための供物としての役割も古くから担ってきたのです。
先ほど「イエスは神そのものである」という話がありましたが、彼はそれと同時にひとりの人間でもありました。
人間と同じ肉体をもち、同じように苦しんだ末に、最終的には十字架にかけられて犠牲の死を遂げます。
博士たちが贈った没薬はイエスの人間としての死の象徴であり、人類のために贖罪を果たすイエスの運命を予言していたものとみなせるわけです。
十字架上での自らの死によって、イエス・キリストが全人類を神に対する罪から解放し救済したこと。
キリスト教の教義によると、かつてアダムとイヴが神の命令に背いたために人類はみな原罪を引き継いでいるが、イエスが犠牲となって死を迎えたことでその罪が贖われ、神との関係を和解する道が開かれたとされる。
ちなみに没薬もエッセンシャルオイルとして簡単に入手可能で、ミルラという別名で流通しています。
乳香(フランキンセンス)にも似た複雑な香りですが、こちらのほうがムスクのように濃厚でまったりとした印象があります。



ミルラオイルにも、没薬に由来する抗菌・抗炎症作用があります。
呼吸器系の不調改善やスキンケア・口腔ケアなど、香りだけでなく伝統的な医薬品としても活用できそうです。
現代に通じる東方の三博士
ということで今回は、クリスマスプレゼントの習慣の起源とされる「東方の三博士」の物語に関連して色々と学んできました。
- クリスマスプレゼントの元祖は、東方の三博士がイエスへ捧げた3つの贈り物
→ 黄金(おうごん)、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく) - 東方の三博士の正体は聖書では不明のままだが、教義において重要な意味をもつ
→ 異国からの礼拝者は「キリスト教が全人類のものであること」を示す
→ 東方三博士の礼拝はイエスが初めて人類の前に公に現れた瞬間だった - 博士たちの3つのプレゼントにはイエスの本質と運命を象徴する意味があった
→ 黄金は「王位」の象徴、乳香は「神性」の象徴、没薬は「死」の象徴
ちなみに「東方の三博士」のエピソードに由来するクリスマスの風習をもうひとつ挙げると、よくクリスマスツリーのてっぺんに飾られているお星さまがありますよね。
あれは「ベツレヘムの星」と呼ばれ、東方の三博士をイエスのもとへ導いた不思議な星を模したものです。


聖書は「人類史上最大のベストセラー」とも言われますが、その影響力はやっぱり感嘆ものですね。
2,000年以上の時代を超えて、9,000km以上も離れた日本にまでその風習を伝えているわけですから。
今年のクリスマス、友人やご家族へのプレゼント選びはもうお済みでしょうか?
もしまだ迷っているなら、ここはひとつ原点回帰ということで、東方の三博士になぞらえて黄金・乳香・没薬の3セットを一式贈ってみるとかどうでしょう。
アロマ好きの人なら普通に喜んでくれるかもしれません。
聖書の時代とは違って今では何でも安く手に入る時代なので、私たちはみんな現代の東方博士になれるチャンスがあるのです。



「組み合わせのセンスがキモすぎる」と思われて終わる可能性も高いので、贈る相手はよく考えましょう。







