奈良県の顔ともいえる代表的な観光スポットといえば、やっぱり奈良の大仏。
正式名称を「東大寺廬舎那仏(るしゃなぶつ)」といいます。
世界最大級の木造建築である東大寺の大仏殿のなかにバッチリと収まっているその姿は、なんとも迫力があって、独特の存在感を放っていますよね。
今私たちがイメージする大仏さまは石のような鈍い灰色をしていますが、元々は全身が黄金に光り輝いていたことをご存じでしょうか?
そしてその黄金の大仏が、かつて多くの人々の健康を奪ってしまったであろうことを…。
この記事では、
- 奈良の大仏の造立背景
- アマルガムを利用した金メッキ技術
- 大仏の造立工程における水銀中毒リスク
についてまとめています。
きれいな大仏には毒がある。
日本史上で最古の公害問題ともいわれる奈良時代のお話です。
奈良の大仏ができるまで
奈良の大仏が造立されたのは、今からおよそ1300年も前にあたる奈良時代のこと。
当時の都は平城京です。
聖武天皇(724-749在位)が治めていた平城京はというと、天然痘が大流行して政治の中心人物が次々と死んでいく、不穏な波乱の中にありました。
また地震や干ばつなどの自然災害も頻発し、これも人々を苦しめます。
農作物も十分に育たず、厳しい飢饉で人が死んでいき、また感染症が広まって…。
そんな感じで、もうとにかく不安定な世の中だったんですね。
だから聖武天皇は、仏教のありがたいパワーで人々の不安を取り除いて国を安定させたい!と考えたわけです。
(こういう思想を「鎮護国家(ちんごこっか)」といいます。)
奈良の大仏の造立というのは、国の命運をかけた大規模プロジェクトだったのでした。
国力をあげての建設工事
高さ15メートルもの巨大な大仏、そしてその全身をすっぽりと納めるほどの巨大な仏堂「大仏殿」をゼロから作り上げるというのですから、これはもう途方もない資源が必要となることは想像に難くありません。
大仏を形成する銅などの金属、木型や建物に使う材木、これらを組み上げるための労働力…。
膨大な量の物資や人手を集めるため、天皇から命を受けたお坊さんが全国各地を地道に訪ね歩いては、プロジェクトへの寄付をお願いしてまわりました。
行基(ぎょうき:668-749)は、その役割を担った僧として有名です。
あ、すいませんちょっといいすか?
いま実は奈良でめっちゃデカくてありがたい大仏作ろうとしてまして~
何か提供できそうなものとかあったらご協力お願いできませんかね?
これ寄付してもらったらそれだけで徳を積めますし、後々大仏さまのご加護も相当あると思うんで~
現代でいうクラウドファンディングの先駆けみたいなことですね。
こんな調子で、聖武天皇は日本中の資源という資源を平城京へと一転集中させていきました。
結果として奈良の大仏造立プロジェクトには、のべ260万人にものぼる人々が携わったようです。
これはなんと当時の人口のおよそ半分にあたる規模。国の本気度が伝わってきます。
その甲斐あって、大仏を作り始めて9年後の天平勝宝4年(752年)には、念願の開眼供養の儀式が盛大に執り行われます。
完成した大仏に墨で目を描きこんで、仏の魂を迎え入れる法要のこと。
開眼供養の儀式には1万数千人もの参列者が集まったそうです。
ちょうど武道館ライブのキャパが埋まるくらいの大盛況ですね。
仕上げのひと手間、金メッキ
「いやー無事に開眼供養できてよかったね、お疲れさま!」
と和やかなムードにひたる間もなく、実は大仏さまの造立工事はその後ももう少しだけ続きました。
最後の仕上げ、大仏の全身を金でコーティングする作業がまだ終わっていなかったのです。
仕上げを待たずして開眼供養が行われたのは、聖武天皇の体調を考慮したとか、仏教伝来から200年記念で節目が良かったとか、その理由は諸説あるようですが…。
まあいずれにせよ、金メッキでの塗装を済ませてはじめて、奈良の大仏さまは本当の完成姿となるわけです。
仏像を金ピカに塗るのは結構メジャーな仕様で、これは金色相(こんじきそう)といって体から光を放つ様子を表現しています。
お釈迦様には「三十二相」という特筆すべき特徴があり金色相もそのうちのひとつです。
釈迦の姿の特徴で、普通の人間とは異なっている点を列挙したもの。
人相や手足の形などに32の身体的特徴があるとされ、仏画や仏像にもたびたび反映される。
やっぱり人々に尊ばれる大仏さまは、黄金でピカピカ輝いていたほうが、文字どおり箔がつくじゃないですか。
それに金は腐食や変色を起こしにくいので、長期間にわたって美しい姿を保てるという現実的な利点もあります。
ということで金メッキ施工チームにあたる一部の人々は、開眼供養を済ませた752年からその後757年までにわたる5年もの間、大仏殿の中でせっせと金の塗装作業に打ち込むこととなりました。
よっしゃ最後のひと仕上げだ!
大仏さまはこれからさらに一段と美しくなるぞ~
しかしまさか、その仕上げ作業こそが彼らの命さえも蝕むような危険な工程だったなんて…。
携わっていた当時の人々は思いもよらなかったかもしれません。
金アマルガム法にひそむ罠
大仏さまに金を塗ることの、何がそんなに危険なのでしょうか。
その問題点は、金メッキを施すために使った技術にあります。
このとき用いられたのは、日本で古墳時代から使われてきた塗装術で、今では「金アマルガム法」と呼ばれるものでした。
金アマルガム法とは
「アマルガム」というのは、水銀とほかの金属とを混ぜ合わせてできる合金の総称です。
水銀は常温で液体の金属ですから、これに粉末やフィルム状の金属を加えるだけで簡単に合金ができるのです。
こちらの動画では、実際に金箔を水銀に混ぜ込んでいく様子がわかります。
水銀はまるで金をムシャムシャと食べるように取り込んで、ペースト状になっていますね。
金が溶けるように消えていくことから、古来日本ではこれを「滅金(めっきん)」と呼んでいました。
「メッキ」という言葉も、この金アマルガムを塗装に用いたことに由来しています。
具体的な塗装手順はこんな感じです。
- コーティングしたい対象の表面に、金アマルガムを均一に塗り延ばす
- 塗り終えたら、そこへ火をかざす
- 次第に水銀の色が抜けていき、金色だけが残る
- 仕上げにヘラなどで磨いて、表面の細かな凹凸を削って完成
加熱によって水銀の色が抜けるのは、温度がおよそ357℃に達した段階でアマルガムから水銀だけが蒸発していくからです。
(金は沸点が約2,867℃なので、蒸発せず表面に残る)
蒸留酒はアルコールと水との沸点の違いを利用して度数の高いお酒を取り出していますが、ちょうど金アマルガム法でも同じように、金と水銀との沸点の違いを利用して純度の高い金だけを塗布しているわけです。
こんな化学的な手法が、1500年も前にはすでに実用化されていたんですね。
さて察しの良い方はお気づきかもしれませんが、しかしこの水銀の蒸発という現象こそが、金アマルガム法が危険であることの最大の理由でもあるのでした。
水銀のもつ毒性
実は水銀には人体への毒性があって、過剰に摂取すると命にも関わるような中毒症状を起こしてしまいます。
水銀と言ってもいくつか種類があって、
- 金属水銀:純粋な金属としての水銀
- 無機水銀:炭素以外の原子とくっついた水銀化合物
- 有機水銀:炭素原子とくっついた水銀化合物
と大きくわけられ、その毒性も個別の種類によって様々です。
この中で圧倒的にヤバいのは有機水銀で、総じて吸収が速いうえに、脳などの神経系に作用するのが恐ろしいところ。
四大公害病として知られる水俣病の原因物質も、有機水銀の一種であるメチル水銀でした。
それに比べれば、アマルガムに使われる金属水銀の毒性はというと、極端に高いわけではありません。
触るだけでも皮膚からゆっくり吸収されていくので油断はできませんが、とはいえそれだけでは重篤な症状にはなりにくい。
なんなら少々飲み込んでしまっても、何事もなく体内を通過して排出されることも多いようです。
ただし気化した金属水銀を吸い込んだ場合には一転して、水銀中毒のリスクが格段に跳ね上がるのです。
粒子が細かくなると接触する表面積が増えて、人体への吸収効率が上がるからですね。
呼吸器系からダイレクトに水銀を摂取することは非常に危険。
そしてそれが高温の蒸気だった場合には、危険性はさらに高まります。
長時間にわたって、あるいは高濃度の水銀蒸気を吸入してしまうと、もう水銀中毒まっしぐら。
肺を通じて全身に水銀の毒がまわって、胃や腎臓やその他の臓器、脳にまで障害を受けて、やがては命の危険まで…。
水銀はたとえ常温であっても非常に揮発しやすいので、むやみに熱には近づけて気化を誘発しないよう、取り扱いには万全の注意が必要だということです。
水銀を使った蛍光管や体温計は絶対に燃えるゴミで捨てちゃダメですよ!
処理施設が水銀蒸気で汚染されて大変なことになっちゃいますからね…。
毒まみれの大仏塗装現場
さて、気化した水銀の危険性を念頭に置くと、金アマルガム法がいかにリスクのある塗装技術であるかは言うまでもないかと思います。
コーティングを施す過程で、わざわざ目の前で高温の水銀蒸気を発生させるわけですからね。
金アマルガム法はもともと小型の装飾品などをちょこっと塗装する程度の用途で広く使われていた手法なのですが、15メートルもの巨大な大仏の塗装ともなれば規模がケタ違いです。
これほど大きな構造物に金を塗るなんて前代未聞ですから、きっと職人たちはよく知られた従来の金アマルガム法の手順をそのまま大仏にも応用して、とんでもない量の水銀をコツコツと蒸発させ続けていたはずです。
当時使用された水銀の量については資料によってバラつきがあるのですが、多く見積もったものでは58,620両(=約2.5トン)もの膨大な量にのぼったと推定されています。
全国から寄せ集めた大量の水銀が、5年間をかけて有毒ガスに変換され続けていく。
大仏が輝きを増すのにつれて、人々は次第に健康を失っていく…。
考えただけでもゾッとしてしまいますね。
奈良の大仏の造立事業において、水銀中毒による健康被害や死者が現実にどれくらい出ていたかについては、あまりハッキリとした記録は残っていません。
とはいえ当時の作業状況を考えれば、やはり相当な水銀中毒者が発生していたであろうことは想像に難くないのです。
その背景として、たとえば次のような環境要因があったと考えられます。
- 大仏殿にこもっての作業
- 近距離での直火加熱
- リスク管理の不足
こうした個々の要因が重複することで、結果として水銀中毒発生の可能性はかなり大きなものになっていたと推測できるでしょう。
大仏殿にこもっての作業
第一のリスクは、金アマルガム法での塗装作業をすべて屋内で行っていたことです。
大仏殿が完成して開眼供養の行事を終えてからの塗装工程スタートだったわけですから、このときには大仏はすでに建物の中にすっぽりと収納されていました。
蒸発した水銀を吸い込むことが一番危険だというのに、このような閉ざされた空間では危険な水銀蒸気がどんどん屋内に充満してしまって、まるで毒のミストサウナのような状況が出来上がってしまうわけです。
まあ高温を伴う作業ということで窓や出入り口は開放していたと思われますが、それでも通気性が良い環境とはいえないでしょう。
細かな粒子として離散した水銀はふわふわと気流に乗って空気中をただよい、人がすぐに吸い込まなかったとしても、大仏殿の壁面や床面や、作業用の足場の隙間などに入り込むように付着します。
そうした固着の水銀がまた自然に揮発していって、じわじわと身体を侵食していく毒となるのです。
近距離での直火加熱
それから、アマルガムを加熱する工程も非常にハイリスクです。
大仏に塗った金アマルガムから水銀を飛ばすためには、たとえば木材などの先端で火を焚いて、これを手持ちで直接かざす方法が考えられます。
表面温度を357度にまで上げないといけないので、炎をかなり近い位置であてる必要があるわけです。
この役目を担った人たちは、必然的に高温の水銀蒸気を吸入することになってしまう運命にあります。
またその際、炎を大仏に当てやすくするために、あるいは火を扱う人の身体を冷ますために、後ろから誰かがうちわなどで風を送っていた可能性もあるでしょう。
そうすると事態はさらに深刻で、送り込んだ風が大仏に跳ね返ってたっぷりの水銀蒸気を含んで顔面へと戻ってくるわけですから、いつ急性中毒の症状が起きてもおかしくないような状況となってきます。
高所・高温・有毒性…。
奈良の大仏の金塗装は、労災リスクが満載だったんですね。
リスク管理の不足
そして前述のような危険性があるものの、こうしたリスクに対して十分な対策が取られていなかったであろうことも、時代を考えるとなんとなく想像がつきますね。
そもそも当時の従事者が水銀の有毒性をどこまで認識していたかも疑問です。
今では防毒マスクや専用の作業服を着用するとか、換気を徹底するなどの対策は必須でしょうが、まあ当時ですからそこまでマネジメントされていなかったのではないでしょうか。
仮にしていたとしても技術的に十分なクオリティを出すのは難しいでしょう。
またそんな過酷な作業環境で、人々はかなり長時間にわたって労働に携わっていたものと思われます。
当時塗装作業にあたった人数や彼らの労働時間は正確にはわかりませんが、5年間であの膨大な表面積を金アマルガム法だけで対応していくのはなかなかのハードワークです。
毒のミストサウナに1日6~10時間、それをほぼ毎日、5年通い詰めと仮定すると、もう健康を保つほうが難しい気がしてきますね。
なにしろ開眼供養を済ませてしまってからの仕上げ作業ということで、朝廷から相当完成を急かされていた事情もあったのかもしれません。
大仏が不幸をもたらす皮肉
それでは今回見てきた内容の要点をまとめましょう。
- 奈良の大仏は、金と水銀を使った「金アマルガム法」によって塗装された
- 金アマルガム法は高温の水銀蒸気(有毒)を発生させるため中毒リスクがある
- 大仏造立当時の作業環境を考えると、多くの人が水銀中毒になっていた可能性が高い
かつて黄金に輝いていた奈良の大仏の、いわば負の側面についてのお話でした。
ただし金アマルガム法による塗装工程の実態は結局のところ不明です。
今となっては状況証拠的に、あくまでその様子と影響を想像するほかありません。
もっと想像を広げれば、水銀の影響範囲は大仏殿の中だけにはとどまらなかった可能性も十分あるはずです。
大量に集められた水銀が周囲の土壌を汚染して、それが川や水田にも流出していたとしたら…
いよいよ都中を巻き込んでの集団水銀中毒ということになってきます。
この奈良の大仏と金アマルガム法をめぐる一連の水銀中毒問題は「日本最古の公害」とも表現されることがあります。
しかし元をたどれば、奈良の大仏の造立目的というのは「疫病などによる社会不安を緩和しよう!」という願いにあるのでした。
そのために国の総力をあげてコツコツと造り上げてきた大仏さまが、よりによって最後は人々の健康を奪う結果を引き起こすなんて、なんという皮肉でしょうか。
原因不明の疫病の流行など不安定な世の中で、なんとか国を守りたいと大仏造りに立ち上がった人たち。
大仏は開眼されたのに、仕上げの最前線でご利益にあやかっているはずなのに、それでもなぜかバタバタと倒れていく人たち。
平城京を生きた当時の人々が感じたであろう不安や無力感もまた、やはり今となっては想像するほかありません。
新型コロナウイルスで大きく社会が揺らいだ近年。
しかし合理的な対策を講じられる分、いくらか状況はマシなのかもしれませんね。