奈良の大仏は、造られた当時は全身が金で覆われていました。
これを実現させた「金アマルガム法」と呼ばれる塗装技術は、大仏を華やかに彩った一方で、関わった職人たちの命を次々と奪っていくこととなったのです。
「奈良の大仏」でおなじみの東大寺廬舎那仏(るしゃなぶつ)は、日本でもっとも有名な大仏のひとつである。
世界最大級の木造建築である東大寺大仏殿のなかにバッチリと収まっているその姿は、なんとも迫力があって、独特の存在感を放っている。
奈良の大仏が造立されたのは、今からおよそ1300年も前にあたる奈良時代のこと。
聖武天皇(724-749在位)が治める当時の日本はというと、天然痘が大流行して政治の中心人物が次々と死んでいくのに加え、地震や干ばつなどの自然災害、またそれに伴う飢饉が続いており、もうとにかく不安定な世の中だった。
奈良の大仏の造立は、
「なんとか人々の不安を取り除いて国を安定させたい!」
という切実な願いのもとで行われた一大国家プロジェクトだったのだ。
奈良の大仏のこれまで
過去に何度も破損している
奈良の大仏は、これまで何度も破損してきたものの、そのたびに修復が繰り返されてきて今に至っている。
特に、2度にわたって経験した火災のダメージは大きかった。
近畿地方は日本史において長らく政治の中心にあったから、数多くの戦の舞台ともなっており、東大寺大仏殿も時としてその戦火に巻き込まれてきたのである。
そのほか、大規模な地震をうけて大仏の頭がボロッと落下したこともあった。
言ってしまえば現在私たちが見られる大仏の姿というのは、これまでの各時代の補修用のパーツが集まった、ツギハギだらけの身体だということだ。
もともと金色だった大仏さま
現在ではすっかり青銅色のイメージのある奈良の大仏だが、造立された当初は全身が金色に輝いていたという。
いわゆる「金メッキ」というやつでコーティングされていたのである。
これによって見た目がゴージャスになるというのは大事なことだが、それだけではない。
金という物質は化学変化に対してとても強い性質をもつので、外気にさらされ続けることによる金属の腐食から大仏を守ってくれる役割を担っていたわけだ。
奈良の大仏がこれまで何度も火事や災害に見舞われながらもその姿を保ってこられたのは、こうした最初期の金の塗装があったおかげかもしれない。
金を塗装する技術
金アマルガム法
古くより、金を塗装するためには「アマルガム」を使った技法が用いられてきた。
水銀に金を触れさせると、金は溶けるように水銀と一体化して、 ドロドロとした半液状の 「金アマルガム」となる。
これを対象物に塗り付けて火であぶると、沸点の違いにより金アマルガムから水銀だけが蒸発していき、最後に金だけが対象物に薄く残るというわけだ。
今では「金アマルガム法」という技法は、金が水銀に溶けて消えていく様子から古来日本では「滅金(めっきん)」と呼ばれており、これが「メッキ」という言葉の語源となっている。
奈良の大仏の金メッキ
奈良の大仏も、この金アマルガム法によって金の塗装がなされたことが分かっている。
あの巨大な大仏をまるまるスッポリ金で覆うのだから、とんでもない量の金や水銀、そして職人たちの労力がかかっただろうことは想像に難くない。
記録によれば、使用した金はおよそ400kg、水銀はなんと2000kgもの量におよび、約5年の歳月を費やしてようやく塗装作業を完遂させたという。
幸いにも近隣には水銀が豊富な丹生鉱山(三重県)があったため、ここから大量の水銀を採掘してくることができた。
しかしこの水銀を利用した金の塗装作業こそが、後の悲劇の始まりだったのである。
水銀が人を死に至らしめる
水銀のもつ毒性
実は水銀には毒性があって、過剰に摂取すると危険な中毒症状を起こしてしまう。
軽度であれば腹痛や倦怠感にとどまるが、重度の水銀中毒となれば命を落とすことになる。
古代中国において水銀は不老不死の効力があるとも伝えられていたことから、かつて秦の始皇帝は水銀を含んだ薬を常用しており、水銀中毒によりかえってその寿命を縮めたという。
液状の水銀を少量飲み込んだ程度では命の危険には及ばないものの、気化した水銀を吸い込んだとなると話は別で、肺を通じて水銀が体内へ急速に吸収されてしまうために、水銀中毒の危険性がグンと高まってしまう。
常温で液体である水銀はちょっとした高温でも気化していきやすいため、厳重な注意を払って取り扱う必要があるということだ。
大仏関係者を襲った水銀中毒
気化した水銀の危険性を念頭に置くと、奈良の大仏に施した「金アマルガム法」による塗装作業は、まさにいつ水銀中毒になってもおかしくない大変危険な状況だったことがわかる。
2000kgもの膨大な量の水銀をわざわざ火であぶって蒸発させ、空気中に放出しまくっているのである。
ましてや金の塗装作業を開始したのは大仏がすでに大仏殿の内部に安置されたあとのことだというのだから、気化した水銀はどんどん屋内に充満していき、水銀ミストサウナのような作業現場となっていたに違いない。
こうした作業を5年も続けていたので、大仏造立に関わった人々が次々と水銀中毒の病に倒れて命を落としていったのはもちろん、大気の水銀汚染により平城京全域にまでその被害が拡大してしまう。
もともとは疫病などの不幸から国を守りたいとの想いから奈良の大仏が造られたのに、その大仏のための作業によって新たな病が蔓延してしまうだなんて、なんとも皮肉な話である。
原因不明の病の恐ろしさ
当時、平城京を生きた人々はどんな心もちだっただろう。
わけのわからない疫病が流行って、食べるものもなく、なんとか大仏を造り上げてもまた新しい病で死者がで出てしまう。
現代であれば原因となる細菌やウイルスは大抵特定されていて、少なくとも何らかの合理的な対策を打つことができるが、奈良時代の彼らはただ怯えて祈ることしかできなかったのである。
それはもう毎日とにかく不安だったに違いない。
この記事を書いている2020年春、「新型コロナウイルス」が世界中で猛威を振るっている。
謎の病が蔓延する中を生きた平城京の人々が感じたであろう無力感や不安な気持ちを、今ほんのわずかだけれども体感できているのかもしれない。
□奈良の大仏は「金アマルガム法」によって全身に金の塗装がされていた
・金を溶かした水銀を塗り、水銀のみを蒸発させる
□大仏造立に関わった人々は、水銀中毒によって多くが命を落とした
・水銀には毒性があり、中毒症状を引き起こす
・気化した水銀を吸い込むと吸収が早くとても危険
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