人生で誰もがみな一度は思ったことがあるでしょう。
「オーストリア」と「オーストラリア」って名前似すぎじゃない?と。
ちなみにこのまぎらわしさは日本語圏だけの問題ではなく、英語表記でも同じこと。
「Austria」と「Australia」。
やはりそっくりですね。
オーストリアはヨーロッパの真ん中、オーストラリアは太平洋に浮かぶ大陸。
立地・気候・歴史など、国名以外の特徴はまったく異なっています。

以前オーストリアへ旅行に行ったのですが、
“No Kangaroos In Austria(オーストリアにカンガルーはいません)”
と書かれたお土産Tシャツがたくさん売られていました。
当事者としてもネタにしているようです。


しかし、こんなにも名前が似ているのはいったいなぜなのか。
どちらも国名の元になった言葉が一緒、ということなんでしょうか?
結論を言えば、各々の国名はそれぞれまったく別の由来によって命名されました。
直接の関係はないのに、結果としてたまたま似た名前になってしまっただけ。
他人の空似だったわけですね。
しかしどうやら、両者はまったくの無関係だと言い切ることもできないようで ——。
実はオーストリアとオーストラリアの国名のそれぞれの語源の、さらにその語源にまで遡って調べていくと、そこには太古の昔に話されていたであろう印欧祖語(いんおうそご)という謎多き言語の存在が浮かび上がってくるのです。
この記事では、
- オーストリアの国名の成り立ち
- オーストラリアの国名の成り立ち
- 「東」と「南」に派生した共通の印欧祖語
についてまとめています。



オーストリアとオーストラリアの国名が似ているのは偶然ですが、しかしある意味では必然とも言えるのかもしれません。
それぞれの国名の成り立ち
はじめに、オーストリアとオーストラリアの国名の成り立ちをサクッと確認しておきましょう。
オーストリアの語源は「Ostarrîchi」
→ ドイツ語で「東の国」の意味
オーストラリアの語源は「Terra Australis」
→ ラテン語で「南の大地」の意味
このように、まず元となった言語が別です。
そして言葉の意味も「東」と「南」なので、わかりやすく方角が90度違っているんですね。
ではここからは、それぞれの国名がつけられた歴史的な経緯についてもう少し詳しく見ていきます。
(「細かい歴史の話はいいよ」という方は、しばらく適当に読み飛ばしていただいてもOKです。)
オーストリアの語源
現在のオーストリアという国の起源をたどると、その始まりは中世前期ヨーロッパのフランク王国時代にまでさかのぼります。
5世紀末の西ローマ帝国滅亡後、中世ヨーロッパ世界の中心として栄えたフランク族による王国。
8世紀末にカール大帝のもとで最盛期を迎え、その後3つに分裂してそれぞれ現在のフランス、ドイツ(やオーストリア)、イタリアへとつながる。
辺境区としてのオストマルク
フランク国王カール大帝は国内統治の一環で、現在のオーストリアにあたる地方を「 Ostmark(オストマルク)」と名付けました。
ドイツ語で、すなわち「東の辺境区」の意味です。
「 Ost(東)」 +「 Mark(辺境) 」
その領域を799年に臣下の貴族へ与えて成立したのが、オストマルク東方辺境伯領。
これがいわばオーストリアのご先祖様的な存在でした。
当時フランク王国の公用語はラテン語だったので、公文書などでは「Ostmark」をラテン語化して「Marchia Orientalis」と表記しました。
「Marchia(辺境)」 +「 Orientalis(東の) 」
語順は逆ですが、「Ostmark」の語構成がそのまま対応した形となっていますね。
ちなみに上記のラテン語「Orientalis 」は、現代英語「Oriental(東の、東洋的な)」の語源にもなっています。
「オーストリア」の登場
オストマルクとはつまりフランク王国を中心としたときの東の辺境として命名されたわけですが、そのフランク王国も以後長くは続かず、9世紀半ばには分裂してしまいます。
時代を下った10世紀ごろには、どうやらこの地域の呼び方も少し変化していたようです。
996年に神聖ローマ皇帝オットー3世が残した文書によれば、このころオストマルクのあたりは一般に「 Ostarrîchi(オスタリキ)」と呼ばれていました。
「 Ostar(東)」 +「 Rīhhi(領域, 国) 」
当時のドイツ語で「東の国」を意味する語です。
「 Ostmark(オストマルク)」と響きは近いものの、かつての「辺境」の意味合いは抜けていますね。
そしてこの「 Ostarrîchi(オスタリキ)」をラテン語化した表記こそが、今の国名と同じ「 Austria(アウストリア)」なのです。
1147年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の時代の公文書にて初めて「Austria」の語が確認されています。
おそらく「Austr-」の部分は元のドイツ語発音の再現、「-ia」の部分は地名っぽい響きにするための、ラテン語流アレンジといったところでしょうか。
チェコのあたりを指す「 Bohemia(ボヘミア)」とか、スペインのあたりを指す「 Hispania(ヒスパニア)」とか、「-ia」の形で地名を表すラテン語の例はすでにありましたからね。
ともあれ、オーストリアの国名の源流は、ラテン語「Austria」の元となったドイツ語「 Ostarrîchi(オスタリキ)」にあるということでした。
なおこの時代には、以前「 オストマルク東方辺境伯領(Marchia Orientalis)」だった領地名も、「 オーストリア辺境伯領(Marchia Austriae)」へと改められています。
ここが直接の母体となって後にオーストリア公国(1156-1453)となり、オーストリア大公国(1453-1804)となり、その後色々あって今のオーストリア共和国(1955-現在)へと続いていくわけなんですね。



「 Ostarrîchi(オスタリキ)」が古文書に初登場してから1000年後の1996年、オーストリアでは建国1000年の記念コインを発行しました。
当時を建国と考えるのが妥当かはまあ置いといて、ひとまず国名の起源はそこにあるだろうということです。
ちなみに現在ドイツ語ではオーストリアのことを「 Österreich(エースタライヒ)」と呼びますが、これも語源としては同様に、当時の「 Ostarrîchi(オスタリキ)」から来ています。
オーストラリアの語源
対してオーストラリアの方は、17世紀に入ってようやく西洋人から「発見」された大陸であるため、それ以前の歴史についてはあまりよくわかっていません。
世界史の舞台が南の海にまで広がっていくのは大航海時代以降のことで、それまでは長らく未開の領域に過ぎなかったのです。
とはいえ、「テラ・アウストラリス」と呼ばれる未知の大陸がそこにあるはずだという伝説だけは、ヨーロッパ世界の間で昔から伝わっていました。
テラ・アウストラリスとは、古いラテン語で「南の大地」を意味する言葉です。
「 Terra(大地)」 +「 Australis(南の) 」
伝説のテラ・アウストラリス
この言葉の発祥はとても古く、2世紀ごろにまで遡ります。
「地球は丸い」という地球球体説は紀元前からあったのですが、それを初めて体系的な地理学書としてまとめたのは、ローマ帝国時代のギリシャ人学者・プトレマイオス(83-168頃) でした。
彼はヨーロッパの既知の土地が北半球にばかり集中していることを自覚していたので、もし地球が球形であるならば、それと同じくらい大きな未知の大陸が南半球のどこかにも存在するはずだと考えたんですね。
これが「 Terra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」=「未知なる南方大陸」としてラテン語の地図に記載されるようになり、巨大な想像上の大陸として、その後1000年以上にわたり伝説が語り継がれていくこととなりました。


「オーストラリア」の登場
時代が下って1606年、オランダ東インド会社が初めてオーストラリア大陸の北岸へとたどり着いたあたりから、この土地こそが伝説のテラ・アウストラリスの一部なんじゃないか、と考えられるようになります。
オランダのアムステルダムを中心に1602年に設立された、世界初の株式会社。
アジアとの香辛料貿易で覇権を握り、17世紀のオランダ黄金時代の礎を築いた。
後々詳しい調査が進んでいく中で、どうやら伝説に語られているほどの巨大な大陸ではないことが判明していくのですが、この新大陸を指す呼び名としての「テラ・アウストラリス」はそのまま受け継がれていきました。
18世紀後半からイギリスによる植民地化が急速に進んでいった当時も、昔ながらのラテン語名「Terra Australis」を英語風に読んだ「テラ・オーストラリス」が通称となっていたようです。
その名を「オーストラリア」と改めるきっかけを与えたは、イギリス人航海者のフリンダーズ(1774-1814) でした。
彼自身、オーストラリア大陸を船で周回し精密な海図を作った功績者の一人です。
フリンダーズは1814年の著作『テラ・オーストラリスへの冒険』の中で、注釈としてこんなことをを書いています。



昔ながらの「テラ・オーストラリス」の呼び名もいいんだけど、個人的には「オーストラリア」に変えてしまいたいかな。
そのほうが分かりやすいし、他の地名とも馴染むんじゃない?
この提案は書籍を通じて、広く一般に浸透していきました。
1824年にはついに、大陸の正式名称が「 Australia(オーストラリア)」と法律で定められることになります。
今のオーストラリアの国名の源流は、いくつもの時代を遡った大昔、古代ローマの地理学に始まっていたのですね。



これだけ「Terra Australis」の伝説を後世にまで語り継がせたプトレマイオスの影響力がすごいなぁ。
東と南の意外な共通点
それでは、改めてここまでのおさらいです。
オーストリアの語源は「Ostarrîchi」
→ ドイツ語で「東の国」の意味
オーストラリアの語源は「Terra Australis」
→ ラテン語で「南の大地」の意味
英語表記だと「Austria」と「Australia」でこんなにもそっくりですが、その命名がされるまでには各国でそれぞれ複雑な歴史の積み重ねがあって、何世紀にもわたる紆余曲折の末、ようやく現在の形に至ったのでした。
そして最終的なアウトプットが、なぜか偶然めちゃくちゃ似てしまったと。
両者の語源を改めて見比べてみると、そもそもドイツ語の「ostar」とラテン語の「australis」の発音があまりに似すぎていたことに、この問題のスタートがあるような気がしてきます。
いずれもこの部分が現在の国名のタネになっていますからね。
加工元の音が似てるんだから加工後の表記も似てくるでしょう。
いくらその意味が「東」と「南」でまったく違うと言っても…。
—— いや、まったく違うと言っていいのでしょうか。
似た言葉がどちらも「方角」を表すなんて、これはもはや近い意味だと言うべきなんじゃないか。
もっと語源を遡ってみる
ということで今度は、各国名の元となったドイツ語「 ostar(東)」とラテン語「 australis(南)」の、そのまたさらに元の形を探ってみましょう。
ドイツ語「 ostar(東)」は、その祖先であるゲルマン祖語の「austrą(東)」が語源。
ラテン語「 australis(南の)」は、同じくラテン語の「 auster(南)」の形容詞形。
方角は相変わらず違っていますが、スペルがより一層近くなりました。
ちなみにゲルマン祖語というのは紀元前5世紀ごろに成立したと考えられる言語で、後のゲルマン語派の諸言語(ドイツ語・オランダ語・英語など)の共通のご先祖様です。
さらにこの調子で、もういっちょ語源を遡ってみると…
ゲルマン祖語「 austrą(東)」は、その祖先である印欧祖語の「 aus(東)」が語源。
ラテン語「 auster(南)」は、その祖先である印欧祖語の「 aus(東)」が語源。
ここでついに、まったく同じ原型に合流してしまいます。



なんと!東と南のスタート地点が同じだったとは…
実はドイツ語もラテン語も、元をたどれば印欧祖語(インド・ヨーロッパ祖語)という始祖的な言語に行き着くのです。
これは紀元前4000年頃に話されていたと推定される仮説上の言語のこと。
ただし文字として証拠が残っているわけではないので、あくまで後の諸言語同士の比較研究によって間接的に理論化・再構築されています。
印欧祖語の影響力はすさまじく、時代とともに広大な範囲に子孫を残していきました。
言語学ではそのグループをまとめて印欧語族(インド・ヨーロッパ語族)とカテゴライズします。
ヨーロッパで話されるほとんどの言語に加え、スラヴ語派(ロシア語・チェコ語など)、インド・イラン語派(ヒンディー語、ペルシア語など)といったアジア方面の言語も含む大きな語族。
大航海時代時代を経てその分布は一気に広まり、現代において母語話者が最も多い語族となっている。
印欧祖語のスケールからしてみれば、ドイツ語もラテン語も兄弟のようなもの。
オーストリアとオーストラリアもやはり兄弟のようなものなのでしょう。
これらの母である印欧祖語「aus」は、次のような意味をもつ語根だったと考えられています。
- 東
- 夜明け
- 日の出
- 輝き
コアイメージとしては、早朝の空に日が昇ってふわっとあたりが明るくなる感じでしょうか。
日が昇ってくる方角と言えば、もちろん「東」です。



そういえば日本語の「東(ひがし)」も「日向かし(ひむかし)=日の出に向かう方向」が語源と言われるので、これも同じ発想ですね。
どうして方角が変わったのか
ここで疑問となるのは、印欧祖語「aus」がラテン語「auster」へと派生する過程で、どうして意味する方角が「東」から「南」に変化したのか?ということ。
「方角が違うのに発音と見た目はほぼ一緒」みたいな奇妙な状況が生まれてしまったのも、結局はそのせいです。
このあたりの理由については推測の域を出ませんが、たとえばこんな説があるようです。
- イタリア半島が南東に出てたから説
- イタリアの南風が熱かったから説
どちらもキーワードは「イタリア」。
ラテン語が発展してきた中心地といえば、やはりイタリアの永遠の都・ローマでしたからね。
1. イタリア半島が南東に出てたから説
英語語源辞典「Etymonline」の「austral」の項には、次のような記載があります。
The Latin sense shift in auster, […] perhaps is based on a false assumption about the orientation of the Italian peninsula, “with shift through ‘southeast’ explained by the diagonal position of the axis of Italy”.
「auster」のラテン語における意味の変化は、イタリア半島の方位に関する誤った推定 — イタリアの軸の対角線上の位置によって説明される「南東」経由の変化 — に基づいているのかもしれない。
Online Etymology Dictionary – austral (adj.)
要するにイタリア半島が南東方向に突き出た形をしているのが原因で、ラテン語話者たちは次第に「東」と「南」を混同するようになったんじゃないか、というお話です。





たしかにイタリアの地形に沿って東の方向へと進んでいく場合、おのずと南へ向かっていくことにもなりますよね。
2. イタリアの南風が熱かったから説
また同じ項の中に続けて、こんな説も紹介されています。
Or perhaps the connection is more ancient, and from PIE root *aus- “to shine,” source of aurora, which also produces words for “burning,” with reference to the “hot” south wind that blows into Italy. Thus auster “(hot) south wind,” metaphorically extended to “south.”
あるいはもっと古いつながりがあって、イタリアに吹く「熱い」南風を参照として、オーロラの語源であり「燃える」に関する言葉も生み出した印欧祖語の語根「 aus(輝く)」に由来するのかもしれない。このようなわけで「auster」は「(熱い)南風」の意味となり、それが比喩的に「南」にも拡張された。
Online Etymology Dictionary – austral (adj.)
つまりイタリアに熱い南風がよく吹くから、「東」の熱いイメージが「南」にも移ったと。
ちなみに関連して、フランスで刊行されたエルヌー&メイエ著『ラテン語語源辞典』を引いてみると、「auster」の項には次のような語釈が載っていました。
- […] vent du Midi, […] Vent venant d’Afrique, qui amène lac pluie et la tempête;
- la région d’où souffle ce vent, le Midi, […]
Ernout et Meillet 『Dictionnaire étymologique de la langue latine』(2001) – auster
- 南風、雨と嵐をもたらすアフリカからの風。
- またその風が吹く地域、南。
イタリアに吹く南風で、熱くて雨や嵐をもたらすもの ——。
これはおそらく、地中海北岸に見られる「シロッコ」と呼ばれる気象現象のことかと思われます。
季節風の一種で、初夏にアフリカから地中海を超えてイタリアなどに吹きつける南風。
サハラ砂漠の砂と地中海の水分を含んで高温多湿となり、砂嵐や雨を引き起こす。
南からの熱風とは切っても切れないラテン語圏において、
aus:輝く → 熱い → 南風 → 南:auster
といった連想ゲームは、それほど抵抗なく受け入れられていったのかもしれません。
ちなみにローマ神話において南風を司る神様の名前は「 Auster(アウステル)」。
彼は、厚い雲と湿気を運ぶ「シロッコの化身」であるとされています。



こっちの展開も確かにありそう!
でも徐々に変化してきたものだから、きっと古典ラテン語を話す当事者ですら真相は分からないんでしょうね。
国名には人類史が詰まっている
では最後に、今回見てきたお話を簡単にまとめましょう。
- 「オーストリア」はドイツ語で「東の国」を意味する通称「Ostarrîchi」のラテン語化が語源
- 「オーストラリア」はラテン語で「南の大地」を意味する伝説の地「Terra Australis」が語源
- 「Ostar(東)」と「Australis(南)」は元をたどれば、どちらも印欧祖語「aus(東)」が語源
- 「aus(東)」がラテン語で「南」に変化した理由は諸説あるが、イタリアの地理が関係してるっぽい
そして現代の国名「オーストリア」と「オーストラリア」を巡るこれまでの言葉の変遷を図にまとめると、こんな感じになります。


先史時代から今に至るまで、ざっと6000年をかけての長い道のり。
想像力を働かせながら言葉の由来を探っていく旅はとても面白いものですが、特に国名の由来は、その対象として最も魅力的なもののひとつではないでしょうか。
人類の歴史を語るうえで、国という概念は単に地理的な境界線を意味するだけではなく、人々が作り出す文化とか信念とか宗教とか、そういったストーリー性を一身に背負った構造体として機能しています。
つまり国の名前の由来には、元となった言葉の辞書的な意味以上に、それまでに人類が積み重ねてきた文化的な営み・歴史の重みがのっかっているわけですね。
「オーストリアとオーストリアって似てるけど語源は別々らしいよ」だけで済ませるにはもったいない!
よーく噛めば噛むほど、意外な面白みが奥からじわじわと染み出してくるものなのです。



現在の国連加盟国だけでも193か国。
あと191回分は楽しめますね!

