歌舞伎の演目の中でも特に有名で人気の高いもののひとつが、『勧進帳(かんじんちょう)』です。
物語の主役は「源 義経(みなもとの よしつね)」とその家来の「武蔵坊 弁慶(むさしぼう べんけい)」。
義経といえば、源平の戦いで活躍したものの、兄・頼朝の怒りを買ったために命を狙われ追い詰められてしまう、いわば悲劇のヒーロー的な歴史上の人物として知られていますね。
『勧進帳』は、そんな義経と弁慶による逃避行の一幕にスポットを当てて創作された、時代物エンタメ作品です。
この記事では、『勧進帳』のストーリーをざっくり理解できるよう簡単にまとめています。
とても短いお話なので、サクッと見ていきましょう。
『勧進帳』のあらすじ
平安から鎌倉の世に移っていく頃、義経と弁慶はひっそりと東北へと歩を進めていた。
全国的に指名手配され、幕府の追っ手からなんとか逃げる毎日。見つかればただではすまない。
北陸の山を越えているその道中で、彼らの行く手を阻むのは、避けては通れない関所だった———。
主な登場人物
- 源義経(みなもとのよしつね)
鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の弟で、平氏との闘いの数々で功績をあげた武将。
そんな大活躍の甲斐なく、頼朝に命を狙われる身となってしまったため、変装で身を隠しながら細々と逃げる日々を送る。 - 武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)
義経のボディーガード的な僧兵。
元々は比叡山のお坊さんだったが、ひょんなことから義経に忠誠を誓い、従者として行動を共にしている。
ケンカも強いムキムキの大男。 - 冨樫左衛門(とがしさえもん)
関所「安宅の関」の関守であり、切れ者の役人。
幕府より「義経を捕えよ」との命令を受け、厳重な警備体制を敷いている。
ストーリー
舞台は加賀国 —今の石川県— にあった「安宅の関(あたかのせき)」。
ここは頼朝の指令により、義経を捕えるために通行を取り締まっている関所でした。
関所の責任者である冨樫は、なにやら向こうから山伏(やまぶし)の姿をした一行が歩いてくるのに気がつきます。
山の中へ入って修行する「修験道(しゅげんどう)」の僧侶のこと。
長年の厳しい修行によって神通力や霊力といった超自然的な能力を体得するという。
天狗(てんぐ)の姿は山伏のイメージと重ねられることが多い。
この山伏姿の一行というのが、まさに義経とその仲間たちでした。
指名手配の目を逃れるため、山伏のコスプレをすることで身を隠していたんですね。
仏の加護をうけたお坊さんともなれば、周囲の人々も恐れ多くてあまりぞんざいな扱いはできません。
先頭を行くのは、存在感たっぷり、家来代表の弁慶。
一方で義経は目立たないように、荷物持ちのフリをして後ろの方を歩いています。
義経と弁慶は、なんとか無事に関所を通過して東北方面へと落ち延びたい。
富樫をはじめとする関所の役人たちは、怪しい奴らを見過ごすわけにはいかない。
一行が関所にさしかかると、両者に緊張が走ります。
山伏に扮する弁慶が、口を開きました。
どうもこんにちは、私たちは旅するお坊さんです。
ほら、こないだ奈良の東大寺が焼けちゃったじゃないですか。
その復興のために、全国から寄付金を集めて回ってるところなんですよ。
そう言って関所を通過しようとする弁慶たち。
しかし関守の富樫は、そう簡単には通してくれません。
本当に寄付金募ってるお坊さんだったら、アレ持ってるでしょ?
勧進帳。ちょっと読んでみてくださいよ。
え? 今ですか…?
…。
勧進帳というのは、人々に寄付をお願いするために、その募金の趣旨や用途・目的などを記した書物のことです。
もちろん弁慶たちの山伏姿はただのコスプレなので、勧進帳なんて持っていません。
このウソがバレれば、義経たち一行は不審人物としてすぐさま捕えられてしまうでしょう。
しかし弁慶はまったく慌てることなく、懐から巻物を取り出しました。
はい、じゃあ読み上げますね。
「お釈迦様が明るく照らしていたこの世はもはや雲に隠れ、生きては死んでゆく長い夢のようなものであるが…かくかくしかじかで、故に東大寺廬舎那仏を建立されたのであって…かくかくしかじかで、その勅命を被り我々は諸国へ勧進して歩いているのであり…(スラスラ)」
むむ、それっぽいな…
実は弁慶が広げているのは勧進帳などでなく、その辺にあった適当な巻物でした。
まるで読み上げているようなフリをしながら、なんと即興でアドリブをかましているんですね。
しかし 用心深い冨樫も、簡単には引き下がりません。
いやー皆さん本物だったんですね。
じゃあついでに、修験道のことを色々聞かせてくださいよ。
立派な山伏の方なら答えられるでしょ?
大体、どうしてそんな怖い格好で山を歩いてるんですか?
それも仏教の修行のうちってこと?どういう関係があるの?
え、てか山伏の人って、なんでいつもゴツい杖をもってるの?
あとその頭に乗せてるちっちゃい帽子みたいなやつってなんなの?
こんな感じで彼は、弁慶を質問攻めにします。
山伏のいたるところにツッコミをいれては動揺を誘っているのです。
どこかでボロを出さないものかと、富樫は目を光らせています。
しかし弁慶はこれにも動じず、すべての質問に対していかにもそれっぽいことをスラスラと答えていくのでした。
お聞きになった点についてはこれこれこういうことです。
服装についてはこう。杖や頭巾にはそれぞれこういう意味があります。
ほんとはこんなことベラベラ喋るのも罰当たりなんですけどね、まあ身分証明のためですから、まだ気になることがあれば何でも答えますよ。
あまりに完璧な対応を前に、冨樫は感心してしまいました。
とうとう一行に通行許可が降ります。
いやはやよくわかりました。
疑ってすみませんね、どうぞお通りください。
ようやく弁慶たちが関所を通ろうとした、そのとき。
冨樫の部下のひとりが義経をじっと見つめています。
富樫さん、あの荷物持ちの人…なんか義経に雰囲気似てません?
え? マジ…?
ちょっとそこのキミ、いいかな。
…!
こうして通過目前で呼び止められてしまった義経。
絶体絶命のピンチです。
ほかの仲間たちは、その様子を固唾を飲んで見守るしかありません。
すると弁慶は、
おい荷物持ち!
せっかく通してもらえたのに、なに引き止められてんだバカタレ!
お前がモタモタ歩いてるせいであらぬ疑いをかけられるんだろうが!
と罵倒しながら、杖で義経をボコボコ殴りはじめたのです。
従者が主君に手をあげるなんて、本来とても考えられないような暴挙です。
お前最近よく義経さまに似てるって言われるもんな?良かったな?
その程度の荷物でちゃっちゃと歩けばいいものを、いつも後ろにくっついて歩いてたら、そら周りの人たちも怪しいと思うわ!ああ腹立つ!
弁慶の体罰は止まりません。
ねえ関守さん、なんならコイツこの場で殴り殺しちゃいましょうか?
私もほら、日頃の蓄積もあってなんか段々ムカついてきたんで。
やっぱこういう怪しいヤツは関所通しちゃダメですよ。
などと言い出し、このままでは本当に一線を越えてしまう勢いです。
弁慶の目はもうバキバキです。
これには富樫もドン引きで、さすがに観念してしまいました。
あーもういい、通れ通れ!
指導者だからって、さすがにこれはやり過ぎでしょうが。
おい荷物持ち!
関守さんがこう言ってくださったから今回は許してやるけどな、次に何か失敗したら容赦しないから覚悟しておけよ。
…。
こうして紆余曲折ありながらも、義経と弁慶の一行はなんとか無事に難関「安宅の関」を突破することに成功したのです。
関所を越えて少し行ったところで、ようやく義経たちは一息つくことができました。
いやあ弁慶の名演技はすごかったね。
最後も遠慮なくバシバシやってくれたおかげで助かったよ。
演技とはいえ、あんなふうに主君であるお方をぶん殴ってしまうなんて…いや本当に恐れ多く、なんと申してよいやら…。
マッチョで気丈な弁慶も涙をポロポロこぼしながら義経への無礼を詫びます。
そんな彼に歩み寄り、手を取って微笑む義経。
運命を共にする二人の、美しい絆…。
そこへ、なんと富樫があとから追いかけてきました。
一行は身構えますが、さっきまでの彼の厳しい雰囲気は和らいでいるようです。
いやいや、どうも先ほどは失礼なことしちゃって…
ほら、酒をもってきたので、ちょっと一杯やりません?
彼は尋問をしにきたのではなく、義経たちを見送りに来たのでした。
実はこの冨樫という男、この一行が義経らであることはすでに見抜いていたんですね。
そのうえで、弁慶の見事な立ち振る舞いと、必死で主君を守ろうとするその忠誠に感服して、あえて関所を通す決断をしたのです。
ささ、お注ぎしますから!
(義経殿、そして勇気ある従者殿、この先もどうぞお達者で…)
そして弁慶もまた、冨樫が自分たちの正体に気づきながらも見逃してくれたことを察し、表面上は山伏としてふるまいながらも、心の内でひっそりと感謝を嚙み締めます。
え~やったぁ!
たらふく飲んで、私もう踊っちゃおうかな!
(富樫殿のそのお心遣い、深く感謝申し上げる…)
勧めに応じて、大酒を飲み干す弁慶。
そしてそのまま華麗な舞を披露してみせます。
弁慶は激しく舞いながら、その途中で仲間たちにさりげなく合図を送ります。
それを見て静かに荷物を取り、一足先に宴の席を後にする義経らの一行。
皆が無事に遠くまで逃げていったのを確認すると、弁慶は富樫のほうを振り返って、敬意の一礼。
そうして彼は、飛ぶように走り、また主君の後を追っていくのでした———。
粋でカッコいい『勧進帳』
以上、『勧進帳』のあらすじでした。
この物語に出てくる人物は、いずれも魅力的でカッコいいですよね。
絶体絶命のピンチを見事機転を利かせて乗り切った弁慶。
信頼する弁慶にすべてを任せて、ただ身をゆだねた義経。
そして彼らの正体に気づきながらもあえて見逃した富樫。
まあエピソード自体は後世の創作っぽいのですが、登場人物や時代背景は史実に沿ったものとなっています。
鎌倉幕府の成立を巡る歴史の流れをふまえると、『勧進帳』が描いた安宅の関での一件もひときわ趣深いものに感じられます。
ちなみに今も石川県小松市には、舞台となった安宅の関の史跡が残っているので、聖地巡りにいかがでしょうか。
なお歌舞伎の演目としての『勧進帳』が初演を迎えたのは、江戸時代のころです。
もっと遡ると、室町時代に成立した能の演目『安宅(あたか)』がほぼ同じストーリーとなっており、これをいわば元ネタとして歌舞伎にも転用された形となっています。
義経と弁慶の勧進帳をめぐる物語が500年以上も昔から現代に至るまで愛され語り継がれていると思うと、彼らを「カッコいい」と思う感覚は、きっとそのころから庶民の間で共通のものなんでしょうね。
義経と弁慶にまつわる逸話はほとんどが創作によるものですが、マンガ映えしそうな名場面がたくさんあって面白いですよ。