
「おいしい」「おかず」「しゃもじ」といった言葉はすべて「女房言葉」といわれる造語です。
これらの言葉を生み出したのは、室町~江戸時代に宮中に仕えた女官たちでした。
去る2018年1月に「広辞苑」が10年ぶりに改訂され、2019年9月には「大辞林」が13年ぶりに改訂された。
「バズる」「インスタ映え」といったSNS関連の言葉も新しく収録(大辞林)されたように、いわゆる若者言葉・俗語の数々が、辞典において着々と市民権を得てきている。
ただし言葉とは流行り廃りがあるもので、こうした「新語」も、いつ「死語」になってしまうかわからない。
特にポッと出てきた造語なんかは数十年もすればたいてい姿を消してしまうもので、私たちはそんな例をこれまでたくさん目の当たりにしてきた。
(たとえばバブル期の流行語は、今では軒並みほとんど死語になっている。)
そうして考えると、以下に紹介する「女房言葉(にょうぼうことば)」はすごい。
室町時代に使われ始めた造語でありながら、500年の時を超えた今でも立派な日本語として定着し、使われ続けているのである。
女房言葉を生み出したのは、かつて宮中(皇居)に住んだ女官(使用人の女性)たち。
彼女ら自身もまた、女房言葉がこんなにも後世に広く普及するだなんて思ってもみなかったんじゃないだろうか。
女房言葉の主な例
語頭に「お」がつくパターン
女房言葉の代表的な例として、元となるワードの一部に「お」をつけて呼ぶものがある。
次に挙げる語はいずれも現役バリバリの日本語だが、実はすべて女房言葉である。
- 「おでん」 ・・・ お + 田楽(でんがく)
- 「おこわ」 ・・・ お + 強飯(こわめし)
- 「おかか」 ・・・ お + 鰹節(かつおぶし)
- 「おかず」 ・・・ お + 数(かず) ※多くの種類を取りそろえることから
- 「おいしい」・・・ お + 美し(いし) ※味が良いことを意味する古語
- 「おなか」 ・・・ お + 中(なか)
- 「おなら」 ・・・ お + 鳴らし(ならし)
このように「お」を頭につけることで、丁寧で柔らかい印象の言葉を作り出している。
特に「おなら」なんて、もともとは単に「屁(へ)」だったのだ。
「屁」が「鳴らし」となるだけでも遠回しな表現なのに、さらに丁寧に「お」までつけるのだから、かなり上品にドレスアップされていることがわかる。
高貴な女官たちとしては、
「あら、いまあの子 “屁” をかましたわね」
というとあまりに品がないので、
「あら、いまあの子 “おなら” をなさったわね」
と、造語によってギリギリ上品なラインを保っていたわけである。
(そもそも、なぜそこまでして宮中で「おなら」の話をしなければならないのかは疑問が残るところ。)
語尾に「もじ」がつくパターン
もう一つ特徴的なのが、元となるワードの一部に「もじ」を足すもの。
「もじ」とはすなわち「文字」を意味する。
- 「しゃもじ」・・・ 杓子(しゃくし)+ もじ
- 「ひもじい」・・・ ひだるい + もじ ※空腹で力が入らないこと
- 「お目もじ」・・・ お目にかかる + もじ
- 「おくもじ」・・・ 奥様(おくさま)+ もじ
- 「かもじ」 ・・・ 髪の毛(かみのけ)+ もじ
- 「にもじ」 ・・・ にんにく + もじ
- 「すもじ」 ・・・ 寿司(すし)+ もじ
「しゃもじ」「ひもじい」は今でもよく使う言葉だし、「お目もじ」も少し古い表現かもしれないものの、まだ現代語の範疇といえそうだ。
(女性語として、「ぜひ近々” お目もじ” いたしたく存じます」などと表現したりする。)
このように「もじ」をつけることによって、その対象をダイレクトに言い示さず、なんとなく婉曲な表現にすることができる。
「ああ、今日はなーんか “ひだるい” わあ」
と露骨に表現してしまうと女官としての品性を欠いてしまうから、ここを「ひもじい」と置き換えることで、
「ほら、” ひ ” の文字がつくアレがあるじゃない。いま私、ああいう気分なの」
というメッセージを遠回しに伝えるのである。
ちなみに余談だが、英語では例の下品なワード “F●CK” のことを、「F-word」( F で始まるあの言葉)と言ったりする。
女房言葉では別に下品なワードを言おうとしているわけではないんだけれども、婉曲表現の方法としては結構これと近い発想をしていると思う。
女房言葉が生まれた背景
宮中の女官たちによる文化
宮中に仕える「女官」というのは、言うなれば「キャリア官僚」のようなものだろうか。
天皇の后(きさき)が住まう後宮においては、后妃の身の回りの世話をする役人は当然すべて女性。
女たちのプライドや嫉妬や、いろんなものがドロドロと渦巻く、いわば戦場であった(と私は勝手に想像している)。

そんな女官たちにとって、自らの気品を示す「言動の上品さ」というのはもっとも重要なステータスのひとつだったに違いない。
まるで現代の女子高生が流行りのメイクを追いかけてある種の地位を築くように、かつての女官たちは「上品」の象徴である女房言葉を生み出し、これを追求していったのである。
業界用語としての発展
女房言葉が現代にいたるまでながーく使われ続けてきた背景には、それがもつ業界用語としての性質が大きく関係しているように思う。
女官たちが何の業界にあたるかといえば、「衣・食・住のサポート業界」といったところか。
その証拠に、女房言葉には衣・食・住に関する言葉がとても多い。
面白い例で、「ひともじ」、「ふたもじ」という女房言葉がある。
「ひともじ」とはネギのことで、「葱(き)」と一文字で呼ばれていたことから「ひともじ」となった。
一方「ふたもじ」はニラのこと。「韮(にら)」と二文字で呼ぶためである。
世の中には一文字や二文字の名前をもつものなんていくらでもあるのだけれども、「衣・食・住のサポート業界」に生きる女官たちにとっては、当然のように一文字といえば葱(き)、二文字といえば「韮(にら)」なのである。

こんな妄想をしてみる。
宮中で食事の支度をする場面において、ベテラン女官が新米女官に、
「ねえ、あなたちょっと “ひともじ” を取ってくださらない?」
などと女房言葉で指示を出す。
経験の浅い新米女官は最初は「ひともじ」がなんなのか分からず、きまりの悪い思いをするかもしれないが、日々の業務の中でだんだんと女房言葉にも慣れていく。
こうしたことによって、女官同士の上下関係はよりハッキリと意識されるようになるだろうし、また同時に「女官」という独特な業界に対するリスペクト・忠誠心のようなものも育っていくと考えられる。
多分、かつて新米だった女官がいずれベテランになったときにも、
「”ひともじ” を取ってくださらない?」
と、同じように女房言葉を得意げに使うのだろう。
これが私たち「女官」の業界なのよ、と言わんばかりに。
このようにして、宮中という閉鎖的な文化の中でこそ、女房言葉は世代を超え時代を超えて繁栄してきたのではないだろうか。
女房言葉も「言葉の乱れ」?
ところで、昨今ではSNSを中心とした若者文化の中で新語がいろいろと飛び交っている。
その一例として、
- 「つらたん」・・・ 辛い(つらい)+ たん
- 「やばたん」・・・ やばい + たん
のように、形容詞の後ろに「たん」をつけたものや、
- 「わかりみ」・・・ わかる + み
- 「おいしみ」・・・ おいしい + み
などと「み」をつけたものもみられる。
こうした新語を「言葉の乱れ」だとして一刀両断しようとする人もいるけれども、冷静に考えてみれば「古き良き日本語」であるはずの女房言葉とほとんど同じ発想をしていることがわかる。
想像するに、女房言葉が使われ始めた当時だって、結構ノリと雰囲気で新しい女房言葉を作っていたんじゃないだろうか。
寿司(すし)+ もじ =「すもじ」となる例を見ても、
「もとの言葉より長くなっとるやないかい!」
というツッコミを禁じ得ない。
とにかく「もじ」をつけとけばいいでしょ、のマインドである。

別に女房言葉をディスっているわけではなく、またSNSに見られる若者言葉を称賛しているわけでもなく、とにかく言葉というものは変容していくのだなあ、ということである。
新しく造られた言葉であっても、それが時代や文化のニーズに合致している限り生き残っていく。
もしかすると「つらたん」「やばたん」という若者言葉だって、意外と後世まで生きながらえて、500年後の日本では「古き良き日本語」として丁重な扱いをうけている可能性もある。
そのときはきっと「女房言葉」のように、「SNS言葉」とか「Twitter言葉」とか、それらしい名前がつけられているにちがいない。
□女房言葉とは、室町~江戸時代に宮中に仕えた女官たちが使い始めた造語
・衣食住に関する言葉が多い
□女房言葉は、丁寧な表現や婉曲表現によって上品な印象を演出している
・「お」をつけるパターン:「おでん」「おかず」「おいしい」
・「もじ」をつけるパターン:「しゃもじ」「お目もじ」「ひもじい」
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