キリンの名前の由来は、元をたどれば中国の霊獣「麒麟」にあった【鄭和の大航海】

キリンの名前の由来は? 生物・自然

動物のキリンは、伝説上の生物である麒麟にちなんでその名がつけられたとされています。
今から約600年前の中国の故事が、時を経て現在の命名につながっているのです。


キリンって、変わった見た目をしていますよね。

動物の代表格だからもう慣れちゃったけど、冷静に考え直すとあのフォルムはヤバい。
首と手足が異常な長さに肥大したバケモノです。

ほかの動物たちの中に混ざると、完全にキリンだけ浮いています。

動物たちの中で完全に浮いているキリン

ぼくたちは幼いころからキリンという異常な存在に少しずつ慣れながら育ってきました。
だからあのバケモノを人気者として受け入れています。

でも、もしもキリンを全く知らない大人がある日突然野生のキリンと真正面から対峙することになったら、それはもうめちゃくちゃビビるに違いありません。

今回は、その昔キリンを初めて目撃した中国人のお話です。

キリンと麒麟

キリンの名前の由来

突然ですが、キリンにはどうしてキリンという名前がついているのでしょう。

答えは、中国神話に出てくる伝説の生き物「麒麟(きりん)」に似ているからです。

麒麟。

パッと頭に浮かぶでしょうか。
そう、キリンビールのパッケージデザインになっているアイツです。

麒麟は、中国ではすごく神聖な生き物とされていました。

古くからの伝承で、有能な王様がめっちゃ良い政治をしてるときに現れる霊獣と言われています。

この霊獣に似ているからキリン。
なるほどなるほど、また一つ賢くなりました。

・・・。

ところで、キリンと麒麟ってそんなに似てますか?

キリンの画像
麒麟(三才図会より)の画像
ぼく
ぼく

全然違うじゃん…(特に首が)

キリンの名を世に広めた男

誰だよ!キリンが麒麟に似てるとか言い出したのは!

ということなんですが、その重要人物の一人が、石川千代松(1860-1935)という動物学者です。

石川千代松の写真
石川 千代松(いしかわ ちよまつ)
< 出典:wikipedia >

この人は日本に初めてキリンを連れてきた偉い人です。
また、ダーウィンの進化論をいち早く日本に広めた先駆者でもあります。


キリンの初披露は、1900年代の初め頃、当時の上野動物園で行われました。
このときに一気にキリンの名が世に広まることとなります。

キリン
キリン

・・・。

大衆
大衆

な、なんだこの動物は!

千代松
千代松

これは「きりん」です。

西洋人は「じらふ」って呼んでましたけど関係ありません。
中国の故事でも、これを「きりん」と呼ぶ感じの逸話があったと思います。

だからみんなも「きりん」って呼んであげてくださいね。

中国の故事

つまり石川千代松がキリンの名を広めるより前に、どうやらその元ネタがあったようです。

鄭和の大航海

永楽帝の出張命令

石川千代松がネタにした故事とは、今からおよそ600年前、明王朝時代の中国での出来事。

主人公は鄭和(ていわ)という男です。
彼は、当時の皇帝である永楽帝(えいらくてい)に仕えた宦官でした。

寄り道メモ:宦官(かんがん)

かつての中国で皇帝や後宮に仕えた、去勢させられた男性官僚のこと。
去勢の際に3割くらいは死んでしまうので、宦官になるのは命がけだった。

ある日、永楽帝は鄭和を呼び出してこんなことを言い出します。

永楽帝
永楽帝

鄭和よ、ちょっと船でアフリカまで行ってまいれ。

鄭和
鄭和

アフリカ・・・?

永楽帝は在位中、大規模な海外遠征をたくさん企画しました。
その意図については諸説あって、単純に外国にアプローチして権威を強めるためとか、弱そうな国からカツアゲするためとか、行方不明の甥っ子(建文帝)を探すためとかいろいろ言われています。

ともかく、鄭和はこの大航海のチームリーダーとして、遥か異国の地に向けて旅立つのです。
最遠の目的地は、港町マリンディ(現在のケニア)です。

鄭和の航海ルート
鄭和の航海ルート
<出典:wikipedia(by vmenkov)>

鄭和、キリンと初対面

長い航海の末、やっと目的地に辿り着いた鄭和。

鄭和
鄭和

ここがアフリカか~

などとあたりを見回していると、たくさんの動物たちの中で明らかに浮いている、抜群に異質なやつがいます。

未知の生物
未知の生物

・・・。

首と手足が異常な長さに肥大したバケモノ
鄭和はさぞ驚いたことでしょう。

現地の人に名前を聞いてみることにします。

現地の人
現地の人

ああ、これは geriっていう生き物だよ。

鄭和
鄭和

え? kiri…? 麒麟と言ったか?
麒麟といえば、あの伝説の霊獣じゃないか…。

リスニングの精度はいまいちですが、鄭和はとても物知りです。
古くから伝えられている麒麟の外見についての記述にも覚えがありました。

麒麟の画像

~ 幻の霊獣 麒麟 ~

  • 鹿のような外見をしており、背丈は5メートルと大きい。
  • 龍のような顔、馬の蹄、牛の尻尾を持ち、その身体は鱗で覆われている。
  • 立派な2本の角と、黄金に輝くたてがみがある。
未知の生物
未知の生物

・・・。

鄭和
鄭和

・・・。

キリンの特徴画像
鄭和
鄭和

なんということだ…。
麒麟は実在していたのか…。

と、こうなりました。

テンションの上がった鄭和は、なんとこのキリンをわざわざ船に乗せて中国本土まで連れ帰ることにします。
主君である永楽帝にプレゼントするためです。
すごいサービス精神ですね。

永楽帝への献上

鄭和はキリンというお土産を引き連れて、無事に永楽帝のもとへ帰還します。

永楽帝
永楽帝

よくぞ戻った。
首を長くして待っておったぞ。

鄭和
鄭和

そんな永楽帝様に、首の長いプレゼントをご用意しました。

なんとあの麒麟でございます!

こんな感じで「麒麟」として献上されたキリンに、永楽帝は大喜びでした。

麒麟というのは有能な王様がめっちゃ良い政治をしてるときに現れる霊獣なので、こうして麒麟が目の前にやってきたのは、永楽帝が有能な王である証拠だ、というわけですね。
(永楽帝は実際に名君として後世に評価されています。)

しかしまあ、鄭和や永楽帝がこのキリンをマジで伝説の麒麟だと信じ込んでいたのかというと、そうではない気がします。
「伝説の麒麟と共通点いっぱいある変な動物見つけたので連れてきちゃいました」くらいの感じだったのかもしれません。
その辺の熱量は、今となっては想像するほかありません。

いずれにせよ、鄭和が航海で連れ帰ったキリンを麒麟として献上し、永楽帝はこれを大変気に入ったということは故事として記録に残っていて、現代のぼくたちがキリンをキリンと呼ぶルーツはここにあるというわけです。

結論:キリンと麒麟には意外と似ている

要するにこういうことです。

麒麟の特徴を書き起こしてみると、意外とキリンとの共通点がいろいろある。
だから鄭和はキリンを麒麟として献上し、石川千代松はそれにならって和名をつけた。

今度動物園へ行かれる際は、ぜひ鄭和や永楽帝の気持ちになってキリンに対面してみてください。
未知の生物と遭遇した高揚感、そしてそれを伝説の霊獣と重ね合わせるロマンが、体感できるかもしれません。

余談ですがこのエピソードを生んだ中国では、現在キリンのことを「長頸鹿(=首が長いシカ)」と言います。

ぼく
ぼく

麒麟、関係ないやんけ…。


今回のまとめ
  • キリンと麒麟には類似点がいろいろあったので、明の鄭和は遠征先で見つけたキリンを麒麟として永楽帝に献上した。(1400年頃)
    【共通点…発音(geri, kilin)、背丈、蹄、尻尾、角、たてがみ、色など】
  • この故事から着想を得た石川千代松はキリンの和名を「きりん」と定め、これが日本中に広まった。(1900年頃)

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