春といえば桜のシーズン。
例年3月下旬から4月半ばにかけては桜の開花情報が注目を浴び、お花見の名所へと津々浦々より人が集まってきます。
観賞用の桜で最も代表的な品種といえば、皆様おなじみの「ソメイヨシノ」です。
今や全国各地に広く分布するソメイヨシノですが、それらはすべて近代以降に人間の手によって植えられてきた個体であることはご存知でしょうか。
この記事では、
- ソメイヨシノの起源と広まった経緯
- クローン生物としてのソメイヨシノの特徴
についてまとめています。
ソメイヨシノを知ることで、お花見がまた少し楽しくなるかもしれません。
ソメイヨシノが天下を取ったワケ
現在日本に存在する桜というのは、種類にしておよそ600品種以上にものぼります。
ソメイヨシノもそんな数ある品種のひとつなわけですが、シェア率でいうとぶっちぎりの1位。
なんと全国の桜のうち約80%もの割合を、このソメイヨシノが占めているようです。
「桜の花をイメージしてください」といわれれば、多くの人は自然とソメイヨシノの花弁を思い浮かべることでしょう。
ではどうして、ソメイヨシノばかりがここまで勢力を拡大させるに至ったのか。
その背景について見ていきましょう。
誕生と普及の経緯
ソメイヨシノという品種は、いずれも野生種であるエドヒガンザクラとオオシマザクラとが交配した雑種として生まれました。
完全な自然交配によってたまたま生まれたものなのか、あるいは人の手によって開発されたものなのかは定かではありませんが、いずれにせよ江戸時代末期の頃に最初の1本が誕生しているようです。
これが当時の江戸の植木職人たちの目に止まり、大々的に売り出されたのがソメイヨシノの始まりです。
「ソメイヨシノ」という名前も、この植木職人たちが拠点としていた江戸の「染井(そめい)村」の地名と、古くから桜の名所として有名な奈良の「吉野(よしの)山」の地名にあやかって命名されました。
そこから東京近辺を中心として徐々に普及し、戦後を迎える頃には急速に全国へ広まっていくこととなります。
伝統的な日本文化を象徴する花でもある桜ですが、ソメイヨシノ単体での歴史は意外と浅いんですね。
観賞用にぴったりな特徴
これほどまで全国的に売れまくったのは、政治的・経済的にも様々な要因が考えられますが、なんといってもやはりソメイヨシノ自身が観賞用の桜として圧倒的に優れていたことが大きいでしょう。
ソメイヨシノには、江戸の植木職人たちが一目おくだけの奇跡的なポテンシャルがありました。
- 花弁が大きく、美しく整った形をしている
- 葉が出始めるより前に、花だけが先行して咲く
- 成長スピードが早く、大木になりやすい
見た目にキレイで、育ちも良い。
観賞用として買い付けるにはもってこいの桜です。
花だけが先に咲くというのはエドヒガン系の特性を受け継いだものなのですが、これも開花の美しさに大きく影響しています。
野生では葉と花が同時に咲く桜の品種も多いですが、どうしても色がまばらな印象になりますし、花弁の密度も小さくなりますからね。
お花見シーズンに見られる「視界いっぱいに広がる鮮やかなピンク色」といった光景は、ソメイヨシノのような花弁先行タイプの桜だからこそ実現しているのです。
こうしたお花見に特化した性質を兼ね備えた優等生だったからこそ、広くたくさんの人々に愛されてきたんですね。
ソメイヨシノは子孫を残せない
ソメイヨシノは観賞には優れた特性をもつ一方で、致命的な問題もまた抱えています。
その問題というのが、「自家不和合性」というもの。
ソメイヨシノに限らず、サクラ属を始めとする多くの被子植物において見られる性質です。
自分自身や、自分に近い遺伝子をもつ仲間の花粉によっては受精しないという性質。
遺伝的多様性を広げるための戦略とされる。
つまりソメイヨシノ同士がいくら密集して植わっていても、受粉によって次世代の種子が作られることはないということです。
そしてこれは人為的に花粉を運んだとしても同じこと。
いくらソメイヨシノが素晴らしくても、子孫を残すためにはまた別の系統の品種と交配させなければならない。
しかしその瞬間、子孫はもはやソメイヨシノではない別の品種となってしまうのです。
交配を重ねれば、あのソメイヨシノ特有の優れた性質は失われてしまう。
それはあまりにももったいない…。
クローン生物としての宿命
種子はできない。でも増やしたい。
ということで人々は、ソメイヨシノを接ぎ木によって人工増殖させることにしました。
増やしたい品種の枝などを切り取り、土台となる近縁種に接合させることで、人工的に新たな個体を作り出す園芸手法。
無性生殖(栄養生殖)のため、親子は遺伝的に完全に同じクローン個体となる。
なんと全国各地に植わっているソメイヨシノはすべて、このような接ぎ木(もしくはそれに類する手法)で誰かがコツコツと増やしてきたクローン個体なのです。
元をたどればそれらはすべて1本のソメイヨシノの原木に行き着くわけですから、これって結構スゴいことです。
今から150年前の江戸時代、当時の染井村で発見されたオリジナルの個体を仮に「染井くん」と呼ぶとしましょう。
あなたの家の近くに植わっているあのソメイヨシノの樹も、クローンですから、まぎれもなく染井くんその人です。
私の散歩道の土手に植わっている桜並木も、1本1本がまさしく染井くん。すべて同一人物なんですね。
柴田くんが大量に増殖して世界が柴田くんだらけになる『シバタリアン』というホラー漫画がありますが、現代のお花見はわりとそれと近しい世界観ともいえるかもしれません…。
話を戻しましょう。
ともかく、ソメイヨシノには自家不和合性があるため、接ぎ木によってクローンを作って増やすしかないというお話でした。
実はこのように無性生殖で繁殖している種には、病気や環境変化にめちゃくちゃ弱いという共通の弱点があります。
遺伝子情報がみんな同じということは、耐性の個体差がまったく存在しないということ。
たまたま相性の悪い病原菌が出てきたら、そのまますべての個体が病気にかかって全滅してしまうリスクがあるのです。
クローン生物だからこそ
遺伝的多様性のないクローンは変化に弱く、種としては不安定だという点に触れたところではありますが、観賞用という用途に限って言えば、クローンであることすら「良さ」につながるかもしれません。
というのは、桜には「パッと咲いてパッと散る」という風情・趣深さがあるからです。
この刹那性は、ソメイヨシノがクローン生物であるおかげで一層際立つ要素です。
個性がないからこそ、同じ地域に植えられているソメイヨシノは、すべての木が揃って開花し、揃って満開を迎える。
だから見ごろの時期には、迫力のある美しい景色が出来上がる。
散り際も同じタイミングで、桜吹雪が美しい。
お花見の見頃は、ニュースの開花予想でチェックしますよね。
桜前線といって、地域ごとの開花予測日が層のようにキレイにエリア分けされた図も登場します。
ああいった風物詩も、ソメイヨシノの個体差を考慮する必要がなく、気温などによってある程度機械的に経過の予測が可能なことに由来しているんですね。
和の心と桜と
古くから日本人は、桜の花を慈しんでは諸行無常に思いを巡らせていたといいます。
春の訪れと共に、ふわっと咲き乱れる桜。
咲いたかと思えば、あっという間に散ってしまう桜。
万物は絶えず流転する。
人生とは、なんとはかなく虚しいものか…。
しかしソメイヨシノは、おそらく私たちのご先祖様が眺めていた桜よりも、さらに急速な勢いで咲いては散るのでしょう。
現代を生きる私たちは、桜の無常観をより濃縮して味わうことができる機会を得ているのかもしれません。
そして目の前に立派にそびえるソメイヨシノの木。
この1本1本が人の手によってそこに植えられてきたことを思うと、なにやら白黒フィルムを見ているような、じんわりとした感動もありますね。
春が来て桜がキレイに咲いたら、幹をさすって150年の時の流れに想いをはせてみましょう。