ヨットといえば、大きく張った帆によって風の力を受けて進む小型船です。
いわゆる帆船(はんせん)の歴史は古く、様々な種類がありますが、中でもヨットならではの強みといえばやはり、風上方向にも切り上がって走っていけることでしょう。
でもこれってちょっと不思議ですよね。
追い風を受けて進むのはわかりますが、何の動力も使わずに逆風に向かって進めるとなると、なんだか直感に反した動きに感じてしまいます。
まず結論ですが、ヨットが逆風に向かっていけるのは…
セールが風から生み出した揚力をキールが一部打ち消すことで、前進力を取り出しているから
です。
セールとかキールとか揚力とかあまり聞きなれない単語が並んでいて、これだけではわけがわからないと思うので、図やイラストもまじえてヨットについて少しずつ理解していきましょう。
この記事では、
- ヨットの構造とセーリング
- ベルヌーイの定理と揚力の発生
- 風上方向へ走るヨットに起きていること
についてまとめています。
(要点だけ知りたい方は「風に向かうヨットを考える」のパートだけ読んでいただくのでもざっくり分かるかと思います。)
洗練されたヨットの帆走にはロマンがありますよね。
自由に乗りこなせたら気持ちいいだろうなぁ。
ヨットってどんな乗り物?
人類は歴史上様々な乗り物を利用してきましたが、その最古の発明が「船」でした。
現在記録に残っているもっとも古い船の原型が紀元前1万年頃のもの。
紀元前3000年頃には風の力を利用する「帆船」が誕生し、紀元前5~6世紀の古代エジプトではすでに、ナイル川から地中海へ出ていくためにかなり大型の帆船を建造していたようです。
中世の頃、ちょうど漫画『ONE PIECE』に出てくるような軍艦や貿易商船はさらに大型化していき、その多くが従来型の横長の四角い横帆(おうはん)を装備して大活躍していました。
横帆は後ろから吹く追い風を受け止めやすく、効率的に推進力に変えることができるのです。
こうした大型化の流れの中で、あえて主流とは真逆の路線をいく船のスタイルが世に出てきました。
それがヨットと呼ばれる乗り物です。
シンプルで小柄な船体と、縦方向へ大きくのびた三角形の縦帆(じゅうはん)。
縦帆は向きを自由に変えられるため、風に対して柔軟な対応をとりやすい。
ヨットはオランダ語で「快速船」を意味するとおり、風向きを問わずスイスイと軽快に海上を走り回ることができる、とても機動力に優れた船なのです。
軍事的には伝令や偵察など機動力が求められるシーンで活用されていましたが、平和な時代になると今度は、王侯貴族の遊びの道具として趣味用途で発展していきます。
18世紀の産業革命で蒸気機関が発明されて以降、帆船はすっかり動力船に置き換わって息を潜めてしまいましたが、そんな中でもヨットが今日も人気を博しているのは、単純にヨットが楽しいからなんですね。
ヨットの構造
ひとくちにヨットと言っても様々ですが、ここでは最もシンプルな1~2人用の小型ヨット「ディンギー」を取り上げて見ていきましょう。
ヨットのつくりを単純化すると、こんな感じの構造となっています。
エンジンなどは搭載していない昔ながらの姿なので、かなりシンプルにまとまっていますね。
ヨットが水上を走行することをセーリングといいますが、自由なセーリングが可能となるのは「ヨットの3要素」と呼ばれる次のパーツが備わっているからです。
- セール(帆):空気中の翼
- キール(センターボード)/ ラダー(舵板):水中の翼
- ハル(船体):2つの翼をつなぎとめる基盤
このうち帆走中に操縦できるパーツは、セールとラダーです。
セールを動かせば、風のあたり方が変わり、ヨットのスピードが変わる。
ラダーを動かせば、水のあたり方が変わり、ヨットの向きが変わる。
ハルとキールは駆動こそしませんが、ヨットにかかる力とその動きを制御するための重要なパーツです。
ヨットの操縦とはつまり、「風の力をヨット自体によって思いどおりの推進力へと変換すること」なのです。
自走できる動力がないということは、その風力→前進力への変換作業こそが、ヨットの動きのすべてになるわけですね。
これほど自然条件と物理法則のみに依存した乗り物も珍しいでしょう。
安定したセーリングのためには、刻々と変わる風の強さや向きに対応して、それぞれのパーツに働く力の釣り合いを自由にコントロールしなければなりません。
構造がシンプルな分、アウトプットは操縦者のテクニックに大きく左右されるんですね。
セーリングの状態
では次に、ヨットの走る方向と風の向きとの関係を見ていきましょう。
風が吹いてくる方角に対して、セーリングの状態というのは大きく3つのモードに分かれています。
- ビーティング:風上に向かって走る(40~50°)
- リーチング:風の横方向へ走る(50~150°)
- ランニング:風下に向かって走る(150~180°)
セールの左側から風を受けるのがボートタック、右側から風を受けるのがスターボートタック。
それぞれ鏡のように、風上・横方向・風下に向かって走るモードが存在します。
もっとも意味不明な見た目をしているのは、逆風に向かっていくモードですよね。
この風上へ向かっていく角度の帆走を、ビーティングまたはクローズホールドといいます。
とはいえ、さすがに風の真正面に向かって走っていくことまではできません。
風に対して0~40°の方角は帆走不能範囲となっています。
だから目的地が風上方向にあるときは、ヨットはタッキングと呼ばれる技術を駆使しながら、右へ左へジグザグに航路をとって切り上がっていくのです。
クローズホールドから風軸に向かって反対方向のクローズホールドへ、船体の方向転換を行うテクニック。
(風下へ向かって行う方向転換は「ジャイビング」と呼ばれる。)
これなら360°どの方向に目的地があっても、風の方向に関わらず向かっていくことができますね。
逆風に向かっていける原理
ヨットが風上に向かって斜めに切り上がっていけること。
さらにタッキングを駆使することで、全方位どこにでも向かっていけること。
それはわかりましたが、やっぱり不思議なのは、その原理です。
どうしてヨットは動力もないのに、風に逆らって帆走できるのでしょうか?
飛行機の翼を考える
ヨットが風上へ進む仕組みを解き明かすにあたって、まずは一旦ほかの事例から考えてみましょう。
飛行機はどうして、重力に逆らって空を飛べるのでしょうか?
キーワードとなるのは「揚力(ようりょく)」です。
飛行機の翼はすさまじい速さの空気の流れを利用して、機体の重さを超えるほどの大きな揚力を上方向に得ているんですね。
翼の周りの空気の流れを図にすると、こんな感じになっています。
飛行機がジェットエンジンで前へ進むと、翼の上下に沿って空気の流れが生じますよね(①)。
同時に、翼の後端では下側の空気が巻き上げられるような動きが生じ、「出発渦」と呼ばれる渦が発生します(②)。
(車が走った後ろで砂煙がクルクルと舞い上がるような感じです。)
そして出発渦と対を成すように、翼の周囲には逆回りの「束縛渦(循環)」もセットで発生します(②’)。
逆回りの渦とはいっても、ものすごいスピードで空気が前から後ろへ流れていく中なので、実際に空気の分子が前方に移動しているわけではありません。
でも、そういう「渦っぽい力の作用」みたいなものが流れ全体に働いていると考えてみてください。
翼の上側を流れる空気は循環の作用と方向が一致しているので、ちょっとスピードが速くなります。
逆に下側を流れる空気は循環の作用とは逆方向に進む必要があり、ちょっとスピードが遅くなるはずです。
ここで一般に、流体は高速で流れるほど圧力が小さくなることが知られているので…
・翼の上方では流速が速い = 気圧が低い
・翼の下方では流速が遅い = 気圧が高い
という状況が生じるわけです(③)。
圧力とはつまり翼を押しのける力ですから、この状況では翼には下から上に向かって、圧力差分の力が働くことがわかりますね。
これをすなわち「揚力(ようりょく)」と呼んでいます。
ベルヌーイの定理
ご覧のとおり揚力が生じる原理においては、「流体が高速で流れるほど圧力が小さくなる」現象が重要なポイントとなっています。
このことを理論的に支えているのが、「ベルヌーイの定理」です。
その名のとおり、スイスの物理学者・ベルヌーイ(1700-1782)によって示されました。
ざっくり簡単にご紹介しますが、「数式が出てくる話はムリ!」という方は、この辺は適当に読み飛ばしていただいても大丈夫です。
ベルヌーイの定理が述べているのは、完全流体(粘性がゼロの理想的な流体)を仮定した場合、そこにはこんな関係式が成り立つぞ、ということです。
\[ \frac{1}{2}v^2+\frac{P}{ρ}+gz={const} \]
ここで、\(v\) は流速、\(P\) は圧力、\(ρ\) は密度、\(g\) は重力加速度、\(z\) は高さ。
\(const\) は constant(=「一定」)ということです。
各項を言葉でかみ砕いて置き換えるとこんな感じ。
「運動エネルギー」 +「 押し込みエネルギー(圧力)」 + 「位置エネルギー」 = (一定)
これは要するに、「流体が流れている特定のその場所」に存在するエネルギーの総量は常に一定になりますよ、ということを言っています。
つまり本質的には「エネルギー保存の法則」のお話です。
例えばジェットコースターは、位置エネルギーと運動エネルギーを相互に変換しながら走っています。
- 高いところでは「位置エネルギー」が大きく「運動エネルギー(スピード)」は小さい
- 低いところでは「位置エネルギー」が小さく「運動エネルギー(スピード)」は大きい
そしてこのとき「位置エネルギーと運動エネルギーの合計は(摩擦を考えなければ)常に一定」になるというのが、理科の授業でも出てくる「エネルギー保存の法則」でした。
流体の運動においてもちょうど同じような関係性が、流速と圧力との間にあるんですね。
「運動エネルギー」 と「 押し込みエネルギー」の合計は(粘性を考えなければ)常に一定になるわけです。
高さという環境に依存する「位置エネルギー」は固定のものとして一旦無視すると、
- 流れが速ければ「運動エネルギー」が大きく「押し込みエネルギー(圧力)」は小さい
- 流れが遅ければ「運動エネルギー」が小さく「押し込みエネルギー(圧力)」は大きい
そう思って数式を見ると、なんとなく言いたいことがわかりますね。
流速の値を大きくしたのなら、そのぶん圧力の方を小さくしないと総量が一定に保てません。
だから空気の流れる速さが2点で違えば、気圧の差が生じて揚力が発生するのだ、と先ほどの飛行機の話につながってきます。
まあ実際の空気は完全流体ではないので、粘性の影響など色々と要素は混ざってくるのですが…。
それでもなお近似的には、やはりベルヌーイの定理が成り立っているということです。
風に向かうヨットを考える
さて、ヨットの話に戻りましょう。
飛行機の翼に起きていることをざっくりまとめると、要するにこういうことでした。
流線形の物体に空気を流すと、なんやかんやあって最終的に「揚力(ようりょく)」が発生するぞ、と。
そして考えてみれば、風をはらんだヨットのセールもまた、飛行機の翼に似た流線形となっています。
ということは、セールにもやはり揚力が発生するのです。
上図は、風が吹く方向へ向かう「クローズホールド」におけるヨットとセールの状態を表しています。
セールの外側には速い空気の流れ、内側には遅い空気の流れができる。
それにより気圧差が生じて、外側に向かって揚力が発生するのは、飛行機の翼と同様ですね。
ここで重要な役割を果たしているのが、船底からのびる「キール(センターボード)」の存在です。
セールが風を受けて発生した揚力は、もともとはヨットの進行方向に対して斜め方向の力になっています。
しかし、そのうち横方向の成分(=横力)については、水中のキールにかかる水の抵抗(=抗力)によって大部分が打ち消される形となるのです。
水の密度は空気の800倍以上ということで、その抵抗の影響は絶大です。
一方で縦方向の成分(=前進力)については、それをさえぎるような抵抗はほとんどありません。
結果として、キールに邪魔された揚力が残す一部の前進力によって、船体は前方へと少しずつ進めるというわけです。
いわゆる「ベクトルの成分分解」の考え方ですね。
「ベクトルとか言われてもイマイチ直感的にわからないよ!」
という方は、壁際に置かれた丈夫な箱を、斜め方向に思い切り押し付ける場面を想像してみてください。
なんとなく、箱は少しずつ滑るように横へ進んでいきそうだなぁ、という感じがするかと思います。
加えた力の多くは壁の抵抗で吸収されてしまいますが、一部横方向の成分が残るから、箱がスライドしていくわけですね。
あなたが箱を斜めに押す力は、ヨットでいうところの「揚力」と考えましょう。
このとき、邪魔してくる壁は「キール」、それでもスライドしていく箱は「ヨットの船体」に相当します。
この例でもわかるように、クローズホールドで逆風に向かうヨットというのは、スピードの面でほかのモードにはどうしても劣ります。
せっかく得た揚力のほとんどは消えてしまって、推進力として活用できないためですね。
その点ヨットが最も効率的に揚力を活用できるのは、真横から風を受ける「アビーム」と呼ばれるリーチングで、これが一番スピードが出やすい走りと言われています。
まっすぐ風下へ向かうランニングになってくると、今度はセール全体で風そのものを受け止めて走るような格好なので、こうなると揚力ではなく「セールにかかる空気抵抗」をメインに活用することとなり、かえって風速以上のスピードは出せません。
(こちらは風の中で傘を広げるのと似ていて、なんとなくイメージしやすいのではないでしょうか。)
追い風では、空気が直接セールを押すことで発生する抗力での帆走。
向かい風では、セールの周りの流速差・圧力差が生み出す揚力での帆走。
ヨットは状況によって2つの異なる力をうまく併用することで、自由なセーリングを実現させているのです。
風にも負けず、どこまでも
ということで今回は、ヨットが向かい風でも進める原理を軸に、ヨットのこと・流体と圧力に関することについて学んできました。
- 機動力に優れたヨットは、セール・キール・ラダー・ハルからなるシンプルな構造
- ヨットは風に対して切り上がって帆走でき、タッキングを使えばどの方向へも向かえる
- 飛行機が飛べるのは、翼の上下の流速差・気圧差により揚力を得ているから(ベルヌーイの定理)
- ヨットが逆風で走れるのは、セールで得た揚力をキールで一部打ち消して前進力を取り出しているから
「どうしてヨットは逆風を帆走できるのか?」の理由を人類がちゃんと説明できるようになったのは、少なくともベルヌーイの定理が発表された1738年以降のことでしょう。
しかしそれよりもずっと昔の時代から、ヨットは風を味方につけて、海を自在に走り回っていました。
つまり、理論に先立つ実践があったんですね。
「理屈はよくわからないけれども、色々試してたら逆風でも意外と走れるっぽいぞ」
と、発見した誰かがいたわけです。
これには先人の知恵の深さをひしひしと感じますし、なんだかそれ以上の、人生の教訓めいたものまで感じてしまいます。
一見すると絶望的な逆風でも、意外と前に進めるものなんだなぁ…みたいな。
一見すると絶望的な逆風でも、意外と前に進めるものです。
タッキングを繰り返して風上へ向かうヨットのように、角度を変えて少しずつ試してみなさい。
広い視点で見ればきっと、着実に目指す場所へと近づいているはずだから———。
by「興味の窓」管理人
ちょっと名言風にしてみました。
激励のスピーチやメールを送るときなど、話のネタにいかがでしょうか。