太平洋に浮かぶ小さな島国「パラオ共和国」には、憲法で日本語を公用語と定めている州があります。
日本から遠く離れたこの国が、日本語とどのようなつながりがあるのでしょうか。
日本の公用語は何だろうか。
「そりゃもちろん日本語でしょ」
と思うけれども、しかし厳密には「日本に公用語は定められていない」というのが正しい。
たとえば国旗や国歌についてであれば、
「日本の国旗は『日章旗(日の丸)』にします」
「日本の国家は『君が代』にします」
と法律にバッチリ書いてあるのだが、公用語についてはそうではない。
憲法や法律のどこを見ても「日本の公用語は日本語とします」という文言が規定されていないのだ。
(同様に、日本の首都が「東京」とはどこにも明文化されていない、というのは有名な話)
なぜわざわざ明文化していないのかというと、現在の日本は言語に関してかなり一枚岩で、ほとんどの日本人があたりまえのように「日本語話者」だからである。
今後よっぽど国内の使用言語が多様化していかない限り、この「なんとなく日本語でいきましょう」のノリでも支障はないということだ。
パラオの公用語に「日本語」?
日本語が「公用語」とされている場所
日本語は、日本の公用語とは規定されていない。
しかし世界に目を向けると、実は1か所だけ、憲法で日本語が公用語と定められている場所がある。
それはミクロネシアの島々からなる、人口2万人程度の国家「パラオ共和国」。
この国の中の「アンガウル州」が世界で唯一、日本語を公用語の一つに規定している。
(パラオでは16の州があり、それぞれの州において国憲法とは別の「州憲法」を定めている。)
アンガウル州では公用語を3つ定めていて、パラオ語、英語、そして日本語である。
ただし現地の人々が実際に会話で使用するのはパラオ語か、あるいは英語かのどちらかで、日本語を使ってペラペラと話すようなことは残念ながらほとんどないという。
「いや、そもそもパラオってどこよ!」
といいたくなるようなちょっとマイナーな国であるが、いったいどうして日本語が公用語に選ばれることとなったのだろうか。
そもそもパラオってどんな国なのか
「パラオ共和国」は、太平洋に浮かぶ小さな島国である。
400を超える島々からなる国だがそのほとんどは無人島で、実際に人が住むのは10やそこらの島々。
中でも主要都市・コロールには人口の半数以上が居住しているという。
気候は一年を通して温暖で、まさに南国のリゾートといった感じ。
ほかのオセアニア諸国の例にもれず、パラオもまた美しい海と自然をもっている。
特にダイビングの名所として有名らしく、世界中のダイバーがパラオを訪れるという。
ちなみ例のアンガウル州はというと、パラオの中心部からはかなり遠い「アンガウル島」という離島に位置しており、この島がそのまま1つの州になっている。
さて、そんな南国パラオだが、実は歴史上において日本との間に密接な関わりがあった。
その始まりは100年以上前にさかのぼる。
実は深ーいパラオと日本の関係
ヴェルサイユ条約による委任統治
時代は大正のころ。
第一次世界大戦が終結する1918年までは、もともとパラオを含むミクロネシア一帯の島々(当時の呼称では「南洋諸島」)はドイツの植民地だった。
ところがドイツは第一次世界大戦の敗戦国となったために、講和条約である「ヴェルサイユ条約(1919年)」において、一切の海外植民地を手放すこととなる。
そこでドイツから解放された南洋諸島の統治を引き続き担うこととなったのが、比較的ご近所である日本だった。
南洋諸島の島民からしてみれば、ようやく解放されたと思ったらまた日本の支配でたまったものじゃないけれども、日本としても一応の言い分として、
「みなさん解放されたばかりでまだ大変でしょうから、国連から委任を受けた文明国のわれわれ日本がいろいろサポートしますね(^^)」
という具合の名目があった。
(こういうのを「委任統治」という。)
そして日本が統治のための拠点を置いた場所こそ、あのパラオの主要都市「コロール」だったのである。
パラオと日本とのつながりは、ここに始まった。
日本の統治もやがて終わる
ここから日本は、パラオをはじめとする南洋諸国の政治・経済・産業にグイグイと介入して影響力を持つことになる。
日本の統治下でパラオは目覚ましい発展を遂げるのだが、そうした体制にもやがて終わりがくる。
第二次世界大戦において今度は日本が敗戦国となると、これをきっかけに南洋諸島の支配権も失ってしまったのである。
第一次世界大戦の終結(1918年)から第二次世界大戦の終結(1945年)まで、およそ30年足らずの統治であった。
その後は代わってアメリカが統治を引き受けることとなり、パラオが完全に独立国家となる1994年までのおよそ50年間にわたって、今度はアメリカ文化の影響をどっぷり受けることになる。
こうして今ではパラオのコミュニケーションにおいて英語が大きな地位を占めるようになったわけだが、かつて戦前の頃には、たしかに日本語が飛び交っていた時代があったのだ。
その時代の日本文化の影響は、ひっそりと、しかし根強く脈々と、現在のパラオの在り方につながっている。
その一例が、アンガウル州の憲法に見られる「日本語を公用語とする」規定だというわけである。
アンガウル州にのみ日本語が残ったワケ
パラオが独立に向けて憲法を制定していった当時、もはや過去の遺物だったはずの日本語をアンガウル州だけが公用語として採用したのはなぜだろう。
実はアンガウル島は、第二次世界大戦終戦後においてもかなり多くの日本人が残留したエリアだったらしい。
よほどこの島の居心地が良かったんだろうか。
アメリカの統治下に入り、パラオ全体としては着々と英語文化に移行していく中で、アンガウル島民だけは日本語との結びつきを依然として強く残していたということだ。
こうした状況から、アンガウル州においては日本語が公用語の仲間入りをするのもごく自然な成り行きだったようだ。
(現在のアンガウル島の風景)
思うに、アンガウル島の地理的な特徴も重要だった。
パラオの中心地とは遠く海を隔てた離島であるため、国全体が着々とアメリカ文化に移行していく流れの中でも、「日本人いっぱい島」という個性的な路線を歩んでいくことができた。
ちょうど日本の歴史において、北海道や沖縄が長らく独自の文化を形成してきたようなものかもしれない。
パラオ語に引き継がれる日本語の影響
さてここで「公用語としての日本語」というこだわりを取り払って、「パラオに影響を与えた日本語」という広い観点で考えてみると、その影響の範囲は決してアンガウル州だけにとどまるものではなくなる。
現在パラオ全土でバリバリ使われている「パラオ語」には、実は日本語がベースとなって生まれた言葉が盛りだくさんなのだ。
たとえば政治・行政関係の用語の一部はかなり日本語そのままで、
- 「daitorio」= 大統領
- 「senkio」= 選挙
- 「iosang ang」= 予算案
などなど。
そのほか日常会話でよく使う表現でも、
- daiziob = 大丈夫
- isongasi = 忙しい
- iorosku = よろしく
などといった日本語由来のワードが定着している。
ちょっとひとこと、ふたこと伝える程度なら、ともすれば通訳なしでもなんとなく通じてしまいそうである。
「お互いに知らない母国語を話しているはずなのに、たまに慣れ親しんだ単語が出てくる」
という不思議な感覚は、パラオとの交流を除いてはまず味わうことができないだろう。
今まで場所すらよくわかっていなかったパラオだが、知れば知るほどなんだかソウルメイトのような存在に思えてくる。
だって言葉だけじゃなく、国旗までこんなに日本とソックリなのだ。
ふと南の島でのんびりしたくなって、
「どこに行こうかな?やっぱりハワイかな、グアムかな」
と悩むことがあれば、いやいやそこはあえて「パラオ」という選択肢も、とても魅力的ではないでしょうか。
□かつて日本は南洋諸島を委任統治しており、現地の文化に大きな影響を与えた
・ パラオ語には日本語由来の言葉がたくさんある
□パラオのアンガウル州では、憲法で日本語を「公用語」と定めている
・ アンガウル島では戦後も残留する日本人が多かった
⇒ パラオの中でも特に日本語との結びつきが強く残った
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