勉強や仕事など何か作業を進めたいときに、図書館やカフェへ出向く人は結構多いかと思います。
一人で黙々と作業をするのなら、なんとなく誰もいない個室で行ったほうが集中できるような気もするのですが、一方で確かに「公共の場で作業したほうがはかどる」という感覚も経験的にすんなり理解できます。
では、どうして図書館やカフェでの作業がはかどるのでしょう?
まあ単純に「気分転換になるから」とか「娯楽の誘惑が少ないから」とか、いろいろ理由はありそうです。
しかしそれだけではなく、「ただ近くに誰かがいるということ」それ自体が作業効率に影響を及ぼすことがあるのです。
社会的促進:他者の存在によってパフォーマンスが上がること
社会的抑制:他者の存在によってパフォーマンスが下がること
人間は社会的な生き物。
他者の存在が自分に及ぼす影響というのは意外と大きいんですね。
この記事では、
- 他者の影響についての研究史
- 動因理論による社会的促進の分析
- 身の回りの社会的促進(抑制)の例
についてまとめています。
今回は心理学系の知見の中でも、かなり今後の日常生活に応用しやすいトピックかもしれません。
社会的促進とは何か
社会的促進に関する研究の先駆けとなったのは、アメリカの心理学者ノーマン・トリプレット(1861-1931)が行った実験でした。
彼はある日、自転車競技のレースを見ていて、こんなことに気づきます。
自転車の選手って一人で記録を狙ってる時より、レースに出たときの方がタイム良くなってるよね…
トリプレットの実験
そこで彼は、確かめてみることにしました。
まず釣り竿のリールを改造して、このようなマシーンを作ります。
二股に分かれたアームの先端には、釣り用の糸巻きリール。
リールを回すとその回転速度がカイモグラフ(ドラム型の記録装置)に記録される仕組みです。
そして被験者として40人の子どもたちを呼び集めて、競争実験を実施しました。
じゃあ今から糸巻きレースするからね~
タイムも測るから頑張ってね。はい、よーいドン!
あ、はい…。
(キコキコ…)
実験では次の2パターンのタイムがそれぞれ計測されました。
- 単独条件:一人でリールを巻く
- 競争条件:二人で同時にリールを巻く
どちらもできるだけ早くリールを巻くわけですが、もしトリプレットが自転車レースに見出したような促進作用が働くならば、競走条件の方でタイムの短縮が見られそうです。
実験の結果はというと、こんな感じになりました。
単独条件と比べたときの競走条件のタイムは、40人中…
・かなり短縮する:20人
・ちょっと短縮する:10人
・逆に遅くなる:10人
二人で一緒にリールを巻くことが、少なくとも何かしらタイムに影響を与えることが示唆されたわけですね。
トリプレットはこの結果から、競争相手の存在は個人の中の潜在的なエネルギーを引き出すのだと推論しています。
「勝ちたい」という欲求が競争本能を覚醒させて、ほとんどの子どもにおいてはリール巻きのパフォーマンスを上げることにつながった。
一方で時にはその欲求が過剰な刺激になって、逆に身体が固まってしまいパフォーマンスが阻害されることもあるようだ、と。
この実験が心理学の論文として発表されたのが1898年。
それがいわゆる社会的促進を扱った研究の始まりであり、もっと言えば人類が「社会的な文脈における心理現象」というものを研究対象に据えた瞬間でもありました。
アメリカの心理学者ゴードン・オールポート(1897-1967)は後に、このトリプレットの研究が社会心理学における最初の実証実験だったと評しています。
「特性論」の提唱者としてパーソナリティ心理学の発展に功績を残した。
兄のフロイド・オルポートも著名な社会心理学者で、「社会的促進」を命名した当人である。
ちなみに前述のリール巻き実験は、現在の心理学実験の設計基準からすると、実は結構テキトーなところもありました。
本当は幅広い年齢から200人以上の被験者を集めていたのに、論文でデータを提示したのは子ども40人分だけであったり。
その子どもたちの中でも、年齢による影響や利き手による影響が十分に統制されていなかったり。
色々とツッコミどころが多いので、実験それ自体としての価値については疑問が残るところでもあります。
それでもやはり、社会的促進という現象を議論の俎上に乗せたのはトリプレットの功績と言えるでしょう。
社会的促進と社会的抑制
ともかくこの実験をきっかけとして、「他者の存在が個人のパフォーマンスにどう影響するか」を探る研究がその後の社会心理学へと引き継がれていくこととなったわけです。
トリプレットに続いて色々な研究者が検証を重ねた結果、新しくいくつかの知見が得られました。
まず、他者の存在は必ずしも良い影響をもたらすわけではなくて、逆に悪影響を与えるケースもあること。
これはトリプレットの実験結果からも示唆されていましたね。
一概には言えませんが、どうやら単純な課題・習熟した課題については、他者と一緒にこなしたほうが良い影響をもたらしやすい傾向にあるようです。
自転車競技では「ペダルをこぐ」というシンプルな運動がタイム短縮に直結するので、競争相手がいたほうが早くなりやすい。
つまり一般的に知られる「社会的促進(Social Facilitation)」の作用です。
反対に、複雑な課題・不慣れな課題だと、他者との同時遂行がかえって悪影響となりやすいことも示唆されました。
たとえば「パズルを解く」「難しい計算をする」みたいな課題だった場合ですね。
こちらのケースは、「社会的抑制(Social Inhibition)」と名付けられました。
どちらも他者と一緒に課題を遂行することによる影響だということで、まとめて「共行動効果(coaction effect)」と総称することもあります。
- 社会的促進:他者によってパフォーマンスが上がる効果
- 社会的抑制:他者によってパフォーマンスが下がる効果
また面白いことに、他者は必ずしも競争相手である必要はないということも分かってきます。
その証拠に、競争が起きないような配慮として「課題の結果は誰にも見られないこと」「結果によって報酬は変わらないこと」を伝えたうえでの実験を行った際にも、やっぱり単独でやるより誰かと一緒にやったほうが成績が良かったのです。
当初にトリプレットが言及していた「勝ちたい」という欲求は、べつに必須ではなかったということですね。
なんなら他者は一緒に課題をしている必要すらなく、誰かが課題の遂行を横で見ているだけでも社会的促進の効果が確認できることが分かりました。
これを「観察効果(Audience Effect)」といいます。
自転車競技の例で言えば、レースでタイムが良くなるのはライバル選手だけでなくコース脇に集まる観客たちのおかげでもあったわけです。
さらにその調子で、課題遂行を応援してくれる観察者、こちらに無関心の観察者…と色んなパターンで実験してみますが、やはりいずれも単独条件のときより成績が向上したのです。
そしていずれの観察者でも、ライバルと競走した場合と同程度の大きさの促進作用が得られたのでした。
(ちなみに観察者効果においても、課題によって社会的抑制が生じることがある点は共行動効果と同様です。)
これまでの知見を総合して考えると、社会的促進/抑制の作用にとって「他者の役割」はあまり関係ないという話になってきます。
とにかく自分以外の誰かがただそこにいさえすれば、それだけでパフォーマンスに影響が生じる。
つまり重要なのは「他者の存在」それ自体であるということです。
なぜ社会的促進が起きるのか
「ただそこにいるだけで促進作用を引き起こす」という一見不思議な現象を理論的に説明するものとして、「動因(どういん)理論」による説明がよく知られています。
「ザイアンス効果」でおなじみの心理学者ロバート・ザイアンス(1923-2008) が提唱しました。
ある刺激に繰り返し何度も接触させることで、その刺激へのポジティブな印象が高まるという効果。
別名「ザイアンスの法則」「単純接触効果」などとも。
彼の理論は、すでに行動心理学の分野で知られていた「ハルの動因低減説」をベースとしたものでした。
ハルの動因低減説
まずは理論の下地となった、クラーク・ハル(1884-1952) によるモデルをざっくり見ていきましょう。
彼は動物の行動形成のプロセスを、「動因」という概念を用いて数式で表現しました。
sER(反応ポテンシャル) = D(動因)× sHR(習慣強度)
ここでいう「動因」とは、生理的に不安定な状態からくる欲求・動機づけのことです。
たとえば「のどが渇いたから何か飲みたい」「頭がかゆいからかきたい」みたいなイメージですね。
「内的な緊張状態」と言い換えてもいいでしょう。
ハルが数式で表しているのは要するに、
「私たちの行動の表れやすさは、内的な緊張状態と経験値とのかけ合わせで決まりますよ」
みたいな話です。
たとえば頭がかゆいときには、「かゆみを解消したい!」という動因が生じる。
そこで頭をポリポリかくと少しずつかゆみが解消されて、一時的に動因も減少していきます。
このとき「頭をかくとかゆみが和らぐ」という連合学習も同時に生じるわけです。
つまり経験値が蓄積されて、習慣強度がより大きな値で保存される。
そのため次回また頭がかゆくなったときには、「D(動因)× sHR(習慣強度)」の値が以前より大きくなって、「頭をかく」という行動の表れやすさもより大きくなるはずだと予想できますね。
動因を低減させるような行動が学習によって強化されることで、どんどんその行動が誘発されるようになっていく、というのがハルの動因低減説が示したモデルです。
ザイアンスによる社会的促進の説明
これを踏まえてザイアンスは、社会的促進のメカニズムをこのように説明しました。
他者の存在を知覚することは、生理的な覚醒水準を上昇させるんだよ。
それで動因が高まると、より経験に結びついた行動が誘発されるから、促進作用として表出するってわけ。
私たちは他者が存在するというだけで、一人でいるときよりも内的な緊張状態が高まる傾向にあります。
たとえば誰もいないバス停で一人で座って待っているときにはまるで家の中みたいにリラックスできますが、誰かが後からやってきたり前を通り過ぎたりするだけで、なんとなく外向きモードに入って少しシャキッとする感じがあるじゃないですか。
あの感じを、ザイアンスは「覚醒水準」が上がった状態と言っています。
生理的にも少し心拍数が上がったり、筋肉の緊張を伴ったりします。
内的な緊張状態 = ハルの理論でいうところの「動因」を一般的に増大させる圧力になるわけですね。
すると習慣強度に応じて行動の表れやすさも大きくなるので、そのとき取り組んでいる課題に関連した行動(リールを巻いたりペダルをこいだり)がよりスムーズに引き出されて、社会的促進が生じるのだという理屈です。
この理論の良いところは、無駄なくシンプルでありながら「社会的促進」と「社会的抑制」の両方をうまく説明できる点にあります。
もしすでに経験豊富な課題・手慣れた行為であれば、「D(動因)× sHR(習慣強度)」の増幅がうまくかみ合うので、ますますその行動が促進されて、パフォーマンスの上昇につながるはずです。
それに対し、複雑な課題・不慣れな行為を必要とする場面では、習慣強度・経験値が足りていません。
動因の増大は望ましい反応だけでなく、非効率な行動やミスの頻度も上げてしまうので、結果としてパフォーマンスが下がってしまう。
そう考えると、記憶などインプット系の課題において「社会的抑制」のほうが見られる傾向にも納得がいきます。
要するに、他者の存在は覚醒水準と動因の上昇を経て、常にその人にとって優勢な反応を促進しているのだということです。
たまたま正反応が優位なら「社会的促進」、誤反応が優位なら「社会的抑制」が生じる、と。
これではあまりにシンプル過ぎるという批判もあって、動因理論をベースに色々な説が他にも示されています。
- 動因説(ザイアンス):他者の存在を知覚することで動因が高まり、優勢な反応が生起される
- 自己呈示説:他者から評価されていることへの懸念によって動因が高まり、優勢な反応が生起される
- 注意葛藤説:注意の拡散により課題遂行の認知負荷が増加することで動因が高まり、優勢な反応が生起される
ザイアンスが提唱した「覚醒水準と動因の上昇が優勢な反応を促進する」という基本的な流れに関しては、大体共通しているんですね。
身の回りの社会的促進/抑制
これまで見てきた社会的促進の作用は、どれも実験場面で検証されたものでした。
しかし私たちの日常生活の中でも、他者の存在に影響を受けてパフォーマンスが左右されるシチュエーションというのはたくさんあります。
それを意識しておけば、社会的促進を日常生活において有効に活用すること、また社会的抑制への注意と対策をすることにもつながるかもしれません。
社会的促進の具体例
社会的促進の恩恵を受けられるもっとも一般的な例は、やはり公共の場での勉強や仕事かと思われます。
受験勉強、資格取得に向けた勉強、家庭や仕事での帳簿付け・文章作成・アイデア出し…などなどですね。
こうした作業をする際に、自宅よりも図書館・カフェ・コワーキングスペースみたいに人のいる環境へ出向いたほうがはかどるケースは多いはず。
小さなお子さんにおいては、「リビング学習」と呼ばれる学習法がこれに該当しそうです。
自室の学習机で一人黙々と宿題をするのではなく、勉強は家族が普通に生活しているリビングのデスクで行おうというもの。
いくつか挙げられるメリットのひとつとして、やはり社会的促進の作用を得られる利点が指摘されています。
実験研究においては、難しい課題や学習系の課題だと社会的抑制のほうが発生しやすいという可能性も示唆されているので、一見すると勉強や仕事は課題として向いていないようにも思えてきます。
しかしながら、正直面倒な勉強や仕事に取り掛かるためには、ある程度の緊張状態=覚醒水準=シャキッとした感じが必要となるのもまた事実。
周囲に他人がいる状況でないと、そもそも机に向かい続けることすら難しいこともあるのが、私たち人間という生き物なのです。
取り組む内容によってはやはり成果のクオリティを優先して一人で静かに集中すべき場面はあるかと思いますが、
・作業の質よりも量が重要となるとき
・比較的単純な内容に取り組みたいとき
・勉強や仕事を継続する習慣をつけたいとき
などにおいては特に、他者の目がある環境に身を置くという戦略は、社会的促進の観点から有効と言えるでしょう。
もちろん個人差は大いにあります。
ちなみに私は、せまい無音の個室でないと全然作業に集中できません。
それから筋トレやエクササイズも、誰かと一緒に取り組んだほうが効率がよさそうです。
こちらは勉強と違って体力勝負のアプトプット課題なので、覚醒水準の高さが運動の成果にかなり直結すると考えられます。
自宅でのトレーニングとジムでのトレーニング、どちらも経験のある方ならわかるかと思いますが、やはりジムを利用したほうが、同じメニューでもこなせる回数・セット数が明らかに多くなるんですね。
これは他者の存在によって心拍や血流が増すことで、基礎的な筋力やスタミナが上がった状態で取り組めるからです。
小中高校では体育の授業や部活動などでよく集団でランニングをさせられましたが、あれは社会的促進の観点でも理にかなった体力づくりの方法だったわけです。
社会的抑制の具体例
社会的抑制に関する身近な現象としては、プレッシャーがかかる場面での「あがり」の状態が挙げられます。
大勢の前でスピーチやプレゼンをする際、緊張で思ったように話せなくなってしまった経験のある方は多いでしょう。
一人で練習しているときには問題なくても、本番では聴衆がどうしても目に入って重圧を感じてしまう。
つまり他者の存在によって自分のパフォーマンスが低下させられてしまうということです。
スポーツの試合においてもよくある現象ですね。
先に見てきた動因理論のモデルを応用して考えると、本番であがってしまう事態を防ぐためには、その前の段階で習慣強度・経験値をしっかり積んでいくアプローチが有効そうです。
sER(反応ポテンシャル) = D(動因)× sHR(習慣強度)
ザイアンスの理論が示唆するように、社会的抑制の発生メカニズムには慣れ・不慣れの問題が大きく関わっています。
動因の増大が、正反応or誤反応のうち優位なほうを促進する結果につながるからです。
熟練した行為であれば、他人の目にさらされる本番で動因が増大しても大丈夫。
むしろスムーズに頭がまわり、よく身体が動いて、緊張感を味方につけた良いパフォーマンスが得られる可能性があります。
あがってしまうのは逆に言えば、その課題に対して不慣れであることの証拠なのかもしれません。
その意味で、練習それ自体はもちろん、他者がいる状態での発表・プレーに慣れることも非常に重要です。
一人での基礎練習(インプット)に始まり、少人数の観客を前にしてのリハーサルを経て、本番環境を想定した段階的な準備を踏んでいくのが大切なんですね。
スピーチのプロ・一流のプレーヤーと呼ばれる人たちに重圧の中で結果を残せる秘訣を聞くと、
「日々の練習とリハーサルの積み重ねで上手くいくイメージを育てておくことだ」
といった趣旨の回答がかなり頻出となっているようです。
ハイレベルのスピードでプレイするために、ぼくは絶えず体と心の準備はしています。
by イチロー
自分にとって最も大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。
(児玉 光雄『イチロー流 準備の極意』 (青春新書インテリジェンス) より
他者に囲まれて生きる
というわけで今回は、社会的促進の効果とそれに関する研究についてざっくりと学んできました。
- 自転車競技に着想を得たトリプレットの実証実験により、社会的促進に関する研究が始まった
- 他者の影響である共行動効果と観察効果には、それぞれケースによって社会的促進と社会的抑制が分かれる
- 社会的促進/抑制のメカニズムは、ハルの動因低減説に基づくザイアンスの動因理論による説明が代表的
- 優勢反応が生起される結果、熟練した課題では社会的促進が、不慣れな課題では社会的抑制が生じやすい
そして社会的促進や社会的抑制の作用は、実験場面だけでなく日常の色々なシーンでも意外と身近に働いていることに改めて気づかされます。
それもそのはずで、思えば私たちは生活のかなり多くの時間を他者の存在にさらされています。
通勤・通学、買い物、レジャー… などなど、外へ一歩出れば(あるいは家庭の中でも)そこには大体他者の存在があって、私たちの覚醒水準は否応なしに上昇してしまって、いつのまにか社会的促進のトリガーは引かれているのです。
知らず知らずのうちに他者の存在に影響を受けて、自分のふるまいすら他者に振り回されかねない世の中。
そんな中で「今自分の中で何が起こっているのか」という理論的な視点をもっておくことは、自分軸で冷静にパフォーマンスをコントロールするうえでは大切な心掛けと言えるでしょう。
私は食事が苦手なので、外食すると社会的抑制の作用であまり箸が進みません。たまに牛丼チェーンに入って練習に励んでいます。